Japan Far East Real Estate

Hasegawa Real Estate and Economy, Inc.

30年前購入した不動産が6分の1の価格になり、10年前に買った不動産は大幅に値上がりした単純な理由

AERAの電子版を読んでいましたら、元朝日新聞の記者、稲垣えみ子さんのコラムが目にとまりました。

 

「まもなく訪れる老後ライフ目前に家を売却したワケ」です。

https://dot.asahi.com/aera/2020112700024.html?page=1

 

同氏が30年前の買った物件を最近6分の1の価格で止むを得ず売却した話が書かれておりました。

 

老後前に不動産を売却した理由は様々ある様ですが、その点に関しては特段意見はございません。

 

一点だけ、誤解をする方も多いと思いまして、私なりに解説させて頂きたいと。

この「30年前」というのが実は曲者なのです。

 

今から30年前とは、つまり1990年から1991年、つまりバブルの絶頂も正に絶頂の頃だったのです。

 

もう一点、購入価格の6分の1でしか売れなかったと事実。それにしてもあまりにも割れ方が大きいのが気になりました。

ここからは、想像ですが、この大きな割れ方は、おそらく東京以外の地方の物件を購入されたのではないかと。

 

1990年代の初頭、サラリーマンとして会社の不良資産を処理=(損を出して)売却していた時、東京より地方の物件の方が割れる率が格段に大きかったのでした。

 

皆さんに知って頂きたいのは、不動産の価格が大きく崩れる時は、

 

1)まず地方から崩れるという事

 

2)なおかつ地方の方が崩れる「率」が大きいということです。

 

私なりに勝手ながら、この方のコラムを解説するならば、稲垣さんにはお気の毒なことですが、彼女の買った時期が不動産バブル絶頂における購入だったことに加えて、6分の1という大きな割れ方から想像しますと、当時買ったエリアも地方都市だったのではと思います。

(勝手な想像でどうもすみません)

 

 話は変わりまして、昨年12月に10年以上のお付き合いのあるお客様とお会いしました。

この方はこの約10年の間に東京都心に複数の新築マンションを購入されてきました。

 

そのラインナップを昨年拝見しましたところ、全ての物件で(現在の時価に照らし合せて)含み益が出ていました。

 今まで、「実需」と「相続対策」の両方で5〜6回購入し、その都度一緒に物件(マンション)を見に行き、結果その時々の話題の物件から選んで購入してきました。

 

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そして、その中においても(現在のところ)一番含み益が出ているマンションは、2010年前後に買った物件です。

 

つまりリーマンショク後の経済不況の中において購入したマンションが最も含み益が出ていました。

 

エリアは全く異なると思いますが、30年前に買った不動産が購入時の6分の1でしか売れない一方で、約10年前に買った不動産が大きく含み益が出ているのです。

 

もうお分かりの様に、実需で不動産を買うにしても、将来に渡って損得を気にするのであれば「どこに何を買うのか」も勿論大切なのですが、それ以上に「何時買うのか」が実に重要なのです。

 

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2021年、長かったパーティーは既に終わった

*以下、この連休に出た日刊ゲンダイに寄稿した文章の元原稿です。

 

2021年、長かったパーティーは既に終わった

 

昨年は、コロナ禍一色の年でした。飲食、観光、航空、運輸産業においては未だ甚大な被害が続いています。

しかしながら、日本、及び米国を含めた各国の株価は高値圏にあります。不動産業界においてはどんな状況でしょうか。

先日、大手賃貸仲介管理会社の東京支店長とお会いしました。その折りに出た話しとしまして、

 

1)賃貸入居希望者の質が相当下がってきた。審査に通らない人が増えてきた。

 

2)月額家賃40万円、50万円以上の高額物件の空室が目立ってきた。かつ募集しても埋まらない。外国人向けのものが多いのでインバウンド停止の影響を受けている。

 

3)逆に千葉、埼玉、神奈川の支店は前年比増収増益の支店もある。これは、50㎡、60㎡のファミリー向けの物件の動きが堅実であり、売買、賃貸含め、東京の郊外、近県への移動(引越し)がテレワーク及び在宅勤務の増加により増加傾向になった結果です。

 

4)9万円から10万円の都心のワンルームの空室から出てく方が多い。そしてやはり募集してもなかなか埋まらない。

これは、一部の業界(飲食等)にお勤めの単身者が職を失いその一定数が既に東京離れている現状があると思われます。

 

一方世界の実態経済に目を向けますと、以下三点の大きな問題は、未だ未解決です。

 

1)米国におけるテック(IT)バブルの膨張と崩壊の可能性。

 

2)世界的な投資不適格企業による債務の膨張、及び彼らが発行した社債、関連派生商品の膨張と破綻の可能性。

 

3)中国における不動産バブル崩壊の可能性です。以前より「バブルは崩壊した時に初めてバブルだと分かる」と言われてきました。

 

この三のリスクの内どれかが崩壊した場合、グローバル経済においては互いに引火し、日本を含めて世界各国の経済に多大な影響を与えます。その結果、日本の不動産市場も大きな影響を受けることになると思われます。

 

一方、銀座で高級ブランド商品を大量に買う方もいれば、京都の料理屋で高級ワインを飲んで一晩に二人で200万円を払って帰る者も未だ存在します。

このお金はどこから来るのか?

一説には、政府系金融機関や保証協会の融資の余りだとか、株の売却益を得た者が少なくない数存在するだとか、諸説ありますが、昨今の世相を、私のこれまでの経験で一度だけ見たことがあるように思います。

 

それは、1990年初頭の不動産バブル末期の状況です。当時、不動産バブルは既に行くところまで行ってしまい、身動きが取れない状態でした。

しかし、この実態が一般的には知られておらず、毎夜湾岸や六本木のお立ち台に乗って踊る女性達がテレビに映し出され饗宴は続いているかのごとく大勢が勘違いしていました。

今も同じように感じます。

 

ホテルの冷蔵庫は既に空の状態で、ビール一本残っていないのにパーティーは続き、未だに音楽も流れていないのに踊っている人々が大勢いるのです。

相模湾沖上空には爆撃機も来襲しようとしているかもしれません。

 

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しかし、殆どの人々の耳にはその爆音は届かないのです。

時代を読む能力のある者だけがそれに備え、既に次の一手を打っているのですが。

 

 

 最適な投資戦略を一緒に考えます。

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変則かつトリッキーなものに魅かれます。

少年時代、阪急ブレーブス山田久志投手のアンダースローのフォームを日本シリーズで初めて見た時は痺れました。

 

巨人から阪神に移籍した小林投手のフォームもやはりアンダースローで魅力的でした。

私が少年時代に所属していたチームのピッチャーも変則のサイドスローでした。

なんともあのトリッキーな変な投げ方に憧れ、よく真似をして投げたものです。

 

一般的なオーバースローの投手は、巨人の堀内や江川はじめたくさのの大投手がいましたが、私にとっては特段魅力的に映りませんでした。

 

一方、テニスやゴルフはまずは少年時代から、正当な美しいフォームを身につけることから始めるからでしょうか、プロの世界でも変則的なフォームの方がほとんどいないように思います。

現在のアマチュア野球やプロ野球ではどうなのでしょうか?

(最近は野球もよく見ていないので詳しくは知らないのです)

 

ここまで、この変則かつトリッキーなフォームと書いていて、読んでいる方は何のことだか全く分からないと思い、少し検索してみました。

するとこんな投手が見つかり、やはり仰け反りました。

是非ご覧ください。素晴らしいの一言です!

 

九州産業大学の谷口優成投手!正に謎です。何故このフォームに行き着いたのか!

https://www.youtube.com/watch?v=KmMQ8GAJDUs

 

こちらは韓国の高校生、左腕投手です。一見普通の投げ方のように見えますが、右足の踏み出す方向に注目下さい!これは相当痺れます!私が女子高生ならBTSより彼に惚れますね。

https://www.youtube.com/watch?v=J_kuo8enL3M&feature=emb_logo

 

 

話は変わって、バーでシェイカーを振るバーテンダーさんもある意味教科書的な振り方をする方が殆どだと思います。

 

 ところが、以前、出張先で疲れ果て、夜、その疲れを麻痺さようと神戸ホテルオークラのバーに飲みに行ったことがあります。

 

その時、バーテンダーのNさんのシャイカーの振り方は実にトリッキーでした。

 

ある意味派手に、かつリズミカルに、踊るが如く振るのです。

しばし、無言でじっと見てしまいました。

その夜は、そのアクションを何度も見ようと色々と注文をしてしまいました。

ダイキリ、ヴェスパー、サイドカー だったか・・・・後は覚えておりません。

 

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どうも天邪鬼な私は「普通」とか「正統派」といったものにあまり興味がもてないようです。

毎度ながら変則的なもの、トリッキーなものに強く魅かれるのです。

 

非常事態宣言前からホテルのバーは休みのところが多いようですが、

早くまたバーエメラルドのNさんのシェイクを酔いながら眺めたいものです。

 

 

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故なかにし礼さんの著作を読んで

今日もコロナ禍のことを忘れるぐらい快晴です。青空です。

 

以前、ある作家さんに会えるかもしれないと、その方が行き付けだと聞いた店へ、知り合いから紹介してもらい行ったことがありました。

銀座のクラブM子というお店です。

 

中に入っていくと、その正面の席に非常に目つきの鋭い、正直に言えば目つきの悪い男性がこちらをじっと睨んでいました。

あたかも「お前たちのような若造が来るような店じゃない!」と言っているような表情でした。

その男性はなかにし礼さんでした。

 

このM子は銀座でも一番の(料金ではなく、客層が一番の)クラブだそうで、その夜もなかにし礼さん以外にも方々が何人がいらっしゃっていました。

 

しかし、作詞家さんのあの怖い目はいったいなんなのか??と思ったものでした。

 

そのなかにし礼さんが昨年末、82歳でお亡くなりになられました。

これまで約4,000曲を作詞し、私の子供時代には、年間のベスト100曲の内、40曲をなかにし礼さんが作詞した曲が入ったといったこともあったようです。

 

年末年始になかにし礼さんの小説「夜の歌」を読みました。

 

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以前に同氏が書いた満州からの引き上げのことを書いた私小説「赤い月」と、戦後日本に戻ってきてから起きた特攻隊帰りの希代の詐欺師的不良であった実兄との関係を書いた「兄弟」を合わせて1冊にし、より小説風にした作品です。

 

これらの書籍を読むと分かることがあります。

なかにし礼さんのあの恐ろしい目は、おそらく、少年期の引き上げ体験と実兄と関係において数々の地獄を見たことにより形成されたと。

 

私の親世代は丁度、なかにし礼さんと時代が重なります。

よって、子供時代を満州で過ごし、敗戦後に日本へ引き上げて来たという親をもつ同級生や友人が何人もいます。

 

しかし、これまで、間接的にも満州からの引き上げ時の状況は聞いたことがありません。何故でしょうか?それは語るにはあまりにも残酷な出来事の連続だったからなのだと、なかにしさんの著作を読んで理解した次第です。

 

この小説を読んで知った事実として、やはり非常に(なかにしさん同様に)残念だったことは、旧満州関東軍やその家族が日本人移民を残して我先にと帰国した、または帰国しようとした事実です。

 

南下するロシア軍から逃げる為の輸送列車にも、最終的に日本へ帰国する為の輸送船にも、先ず関東軍の兵隊やその家族が乗り、次に「官」である満州鉄道の関係者とその家族、最後の最後に一般移民であったそうです。

満州へ移民した日本人は、ロシアの参戦を受け、彼らから暴行、略奪を受けたと。

 

さて、もう1冊、年末に幸田真音さんの著作「天稟」も読みました。

 

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山種証券創設者、山崎種二の人生と戦前戦後の日本経済の危機を描く経済小説です。

 

個人的に印象に残った点は、戦後日本が民主国家になった後に実施された「新円切り替え」、「預金封鎖」と「財産税の課税」という一連の施策です。

 

国家の財政破綻を避ける為に実施されたとはいえ、正に見事なほどに残酷な施策です。現在の現状を踏まえ、今後もこう言ったことが再び起こらないとは言えないと感じたのです。

 

国家にとって、政府にとって、一番大事であるのは国民の命であり国民の財産であると思いたいのですが、かつて日本政府は、止むを得ない事情があったとは言え、国民や国民の財産を二の次、三の次のした「過去」があるのです。

 

 

 そう言った意味ではこの2冊を是非お勧めしたいと存じます。

 

さて、現代に目を移しますと、今後経済政策において、最後の最後まで国家を信じて良いのかと感じています。

円なる通貨は大丈夫なのかと。

現在の空前絶後の金融緩和の後に財政破綻のリスクはないのだろうか。

 

もしも、そうなった場合、またはそのリスクが増大した時、国家(政府)は国民や国民の財産を二の次にして再び同じ施策を行うことはないだろうか?

 

個人的には、やはり最後の最後は自分で自分を自分の財産を防衛しなければならないと思います。

それは正に、なかにし礼さんのお母様が、関東軍満州移民の保護を放棄した後、現地でご主人を亡くし、その後二人の子供を抱えて満州から帰国したようにです。

 

 

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エクセル重視の不動産投資におけるリスク

不動産投資の最盛期はもう過ぎたようです。

今回は、私は実際にお会いした個人投資家の方で実に驚いた事例をご紹介したいと思います。

 

その方は、東京在住の方ですが広島市内の一棟の物件を購入しようということで相談に来られました。

数日後に契約予定といったスケジュールだったと思います。

私は、物件を見ていないので資料だけからの判断であることを断って、幾つかの問題点を指摘させて頂いたのですが、

 

「その程度のことであれば契約しようと思います」

とおっしゃいました。

私は、

 

「契約前に広島の現地をもう一度見て、ご指摘した点や周辺環境やマーケットを確認した方が良いですよ」

 

とお伝えすると

 

「実は、物件は見ていません。銀行が融資してくれるということと、収支が合うのでもう契約しようと思います」

 と。

 

実際、その方は自分で幾通りものシュミレーションをしたエクセル表を見せてくれました。

 

 「いや〜それでも絶対に一度は契約前に現地を見て、最低限こういったことは確認した方が良いですよ」と申し上げました。

 

しかし、笑顔で

エクセル上の収支が合って、

銀行の融資が付いた物件で、

しっかり手元に現金が毎月残るのだからもう大丈夫ですとの判断でした。

 

私としても資料を見ただけで、現地を見ていないのです。土地勘も東京に比べれば殆どありません。よって「親戚の従兄弟が広島市内で税理士をやっているので立地のことだけでも聞きましょう?」とお尋ねすると再び笑顔で「大丈夫です」ということでした。

 

あれからもう結構な月日が経っていますが、あの投資行為は、その後どうなっているでしょうか。

 

エクセルは便利な道具です。が、エクセルによるシュミレーションは、美しい数字の羅列であり、心の安心材料にはなりますが、不動産投資における肝心要ではありません。

あくまでも投資を行う上での道具の一つであり、シュミレーションも判断材料の一つでしかないのです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

 

実際に、現在のコロナ禍の現状がよい例ですが、あの時のシュミレーションが絵に描いた餅でしかなかったということが起こり得るのです

 

昨今あれれ?と感じることは、物件そのものや、周辺環境やマーケットを十分に調査しないで、エクセル表ばかりをいじって安心している投資家が増えたように思います。

エクセルは元々は売り手、つまり営業サイドのツールであることを忘れていけません。

安心を与える為のツールです。

自分がエクセル教の投資家になってはいけません。

 

数字は嘘をつきませんが、数字そのものが今の時代、大きく激変するリスクをはらんでいるのです。

そのことを忘れてはいけません。

そして、その時のバッファーは何か?それは、やはりその物件がもつ本来の「力」であり「体力」「耐性」なのです。

そしてこればかりはそう簡単には数字にはできない部分です。

 

昨今のコロナ禍で、一定の物件で空室率の上昇や家賃の下落が徐々に、そして確実に起こって来ています。

一方全く影響のない物件も存在します。

その差は、当然ながらエクセルでは表すことができない部分なのです。

 

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ロシア大使館と東京アメリカンクラブ

新年、港区麻布界隈、具体的には麻布台、麻布永坂町を歩きました。

どちらも東京に残っている数少ないお屋敷町です。

さらに飯倉の方に向かうと急に警察の警備が厳しくなります。ロシア大使館がある故です。東京で24時間警察が周辺地域まで警備しているのはロシア大使館、中国大使館、韓国大使館と朝鮮総連でしょうか?

 

そのロシア大使館の脇を抜けて麻布十番の方へ向かおうとしましたらそこは行き止まりでした。

その行き止まりの道を正月からメルセデスのオープンカーや高級外車が次々と侵入してきました。見ていますと、この道のどん詰まりの右側にある施設にどの車も入って行きました。

 

ロシア大使館(旧ソビエト連邦大使館)の裏口か?と思って看板を見ると「東京アメリカンクラブ」とありました。

 

あ〜これがあのアメリカンクラブかと。

 

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東京アメリカンクラブとは一言で言えば民間の社交場です。

実際に入り口まで来たのは初めてでした。場所はロシア大使館の近くだということは知っていましたが、近くどころか大使館に正に隣接した施設でした。

古くは日本人で言えば高倉健石原裕次郎長嶋茂雄氏も会員だったことでも有名な社交クラブです。

 

「これではロシア側がたまらないだろうな〜」と。

 

ロシアからすればもう嫌がらせのような立地です。

かつて、戦後、旧ソビエト連邦の大使館の隣接地に(米国が間接的に関わり)敢えてこの地に施設を建てたのでしょうか?

かつてこの土地は南満州鉄道東京支店の跡地だったようです。

 

事務所に帰って、地図を見ますとこのロシア大使館南側の当該施設だけでなく西側にも2軒挟んでIBM飯倉ビルなるものが建っています。

この広い東京において偶然でしょうか?

 

IBMは日本で言えば(言わずもがなですが)三菱電気とNEC富士通が合わさったより巨大な企業であり、米軍や米国政府機関のいわゆる官の仕事を長年携わってきたディスイズアメリカンカンパニーです。

 

これも何かロシア大使館を牽制するような立地です。

 

この能天気な平和国家日本においても冷戦時代から現在まで両国のせめぎ合いがこんな極東の局地においてもあったのでしょう。

 

ところで、近年、中国人や中国資本の企業が東京を含め地方の土地を買っているというニュースを聞きますが、あれは、個人的には投資好きな中国人が原野商法に騙された結果のように感じます。

 

もしも原子力発電所や米軍基地、自衛隊の基地や施設の近隣や隣接地を買おうとする動きがあれば、以前からある「国土利用計画法」で阻止すれば良いだけのことだと思います。

全国の重要施設の周辺を「監視区域」に指定すれば良いのです。

(実際そういった動きがあるようです)

 

しかし、今やインターネット(の傍受)、スパイ衛星により監視、大陸弾道弾ミサイルによる攻撃の時代に重要施設の隣地を買う理由は何でしょうか?

いざと言う時の攻撃拠点としてでしょうか?またはスパイ活動でしょうか?

 

赤穂浪士の時代においては、大石内蔵助の関係者が吉良上野介の屋敷の隣地を買う理由は十分にあったとは思いますが。

 

実は、この東京アメリカンクラブも約10年前に敷地の東側に定期借地権により民間の分譲マンションが建設されました。未だ敷地全体は一般社団法人東京アメリカンクラブの所有ではありますが、既に旧来の役目は終えたのかもしれません。

勿論、私などには本当のところはよく分かりませんが。

 

それにしても、このアメリカンクランブ、一度入ってみたいものです。

どなたかメンバーの方がいらっしゃったら、一度でいいので誘ってやってください。

 

 

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近江商人の「世間良し」とは何か?

彦根にはこれまで4回程行ったことがあります。殆どがセミナー講師としての仕事でしたので、毎回多少の時間の余裕がありました。

 

ある時、彦根の中心部から車で20分程のところにある近江商人博物館に参りました。

以前から興味がありましたのでじっくり拝見致しました。

 

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近江商人と言えば「売り手よし、買い手よし、世間よし」といった思想と申しますか行動哲学が有名ですが、私にはこの「世間よし」の意味が今ひとつ腹の底で理解できずにおりました。

世間よしとは、何か儒教的な綺麗事を言っているようにも思いました。

しかし、この博物館を訪れてよく理解できました。

 

近江商人の流れをくむ現在の大企業は伊藤忠商事、丸紅、高島屋西武鉄道、ヤンマー、双日、柳屋ポマード他、実に多いのですが、当時の近江商人の進出先も南は薩摩から北は蝦夷地にまで実に日本全国に及びました。

これが現代で言う支店を出すということではなく、自ら移住し、そこの居を構え、正に骨を埋める前提で進出していったのです。

今のように東京、大阪や博多間を飛行機で日帰りできるような交通機関はないわけですから、暖簾分けしてもらった人間は、当たり前ながら地方へ移住して店を構えたのです。

 

そして、当然ながら近江から来た商人は間違いなくその土地では「よそ者」だったわけです。

よそ者は警戒される対象であり、当初は「地元の仲間」には入れてもらえないわけです。

 

現在でも名古屋の「丸八会」のように地元だけで商売を回していこうといった排他的な寄り合いは残っているのですから、当時ではなおのことだった思います。

 

そこで、近江商人は地元に彼らの利益を大きく還元していきます。

 

学校を建てる、植林する、灌漑用水等の土木工事を行うなど様々な寄付行為を行っていきました。

よそ者の商人がその地で、商売をさせてもらい、受け入れてもらい、結果食べていくには当然しなければならない行いだった思います。

これがズバリ「世間よし」の実情だったのだと想像します。

世間よしとはその土地土地によそ者が受け入れてもらう必要不可欠な手段だったと。

 

私も地方で仕事をさせて頂く時は「私は所詮よそ者なのだから、何かその土地に還元していかなければ」と思い毎回参ります。

それは町興しの知恵、つまり言葉だけでは不十分なのです。

 

その土地の居酒屋で食事をして、スナックでムード歌謡を歌ってわずかのお金を落とすしても、世間良しとは到底言い難いのです。

 

これは実際には、なかなか難しい問題なのです。

だからこそ、これを徹底的に実行した近江商人はやはり偉大なのです。

 

 

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