ブログの読者CI社のF次長からメールを頂きました。
吉田松陰が処刑される前に詠んだ句をご存知だろうか?
親思う心にまさる親心
今日のおとづれ何と聞くらん
これは江戸で罪人として処刑が決まった松陰が郷里の両親
に宛てた手紙の中にある一句である。
幕府の重臣暗殺を企てた疑い有りということで、長州から
江戸に送られることになった松陰を見送る際、両親は、
「決して企ての真実を漏らしてはいけないよ。真実を言った
らきっと殺されてしまうから」と息子を諭したが、気性峻烈
な松陰は、自らの信念に何ら臆することなし、幕臣暗殺を企
てたことを正々堂々と言う、と譲らなかったらしい。
そしてこの信念が時の大老井伊直弼の怒りを買い、処刑され
てしまう。前述の句は必死に自分を止めてくれた両親をおもい、今日自分
が処刑されたという知らせをどんな気持ちで聞くだろうか、
という松陰の両親へのいたわりが溢れている。
流石、私同様幕末フェチなH・F氏、メールありがとうございます。
私も吉田松陰の凄さを知りたくて山口県、萩には、高校3年
の春休み、と数年前に計2回訪れています。
また、静岡県、伊豆半島の先、下田の姉崎弁天島という場所
を訪れたこともあります。
そこは、松陰が、幕末に開港を迫るために停泊していた米国
艦隊に小船で近付くために待機し、実際、夜船を出した場所です。
実際に松陰は、米国艦隊に米国行きを願い出るという、当時
鎖国中の日本では、考えられない行動を起こしました。
松陰は、異国に渡ってその進んだ文明を見て新しい国造りに
役立てたいという思いが強かったようですが・・・。
正に死を覚悟した決死の行動でした。
私は下田で思いました。
山口県萩から下田まで、どれ程の距離を歩いて来たのかと。
地図も道も整備されていない時代に・・・。
伊豆半島は海岸沿いを歩いたのでしょうか?
それとも「伊豆の踊り子」の大学生の様に内陸を歩いた
のでしょうか・・・。
松陰の性格は激烈であったそうですが、このような尋常
でない行動力をもった日本人は、今は、どこにも、いない
ようです。絶滅してしまったのでしょうか。
このような超人的な行動力を自分でも有していた故、
松下村塾からは、数多くの憂国の烈士が生まれたのでしょう。
そう考えますと、日本の政治家を育てる機関があれば良いと
思いますが、そもそも彼らを教える教育者で適任な方が
この日本に一人でもいるのでしょうか?