Japan Far East Real Estate

Hasegawa Real Estate and Economy, Inc.

ミュシャという銀座のクラブ

もう随分前のことです。


銀座7丁目にある会社に勤めていたせいか、残業していると
銀座に飲みに来ている取引先の社長に電話でよく呼び出されました。
そして、いわゆるクラブによく連れていって頂きました。


当時は、社会全体も、業界も景気が良かったですので、
私の様な平社員でも、「お付き」でよく誘って頂きました。
いったい何件の店に行ったのか?
どんな店の雰囲気だったのか?
店の名前もホステスさんの顔も今となっては、殆んど
覚えていません。


しかし、ミュシャという店のことは良く覚えています。
その店は名前の通り、アルフォンス・ミュシャの絵が
沢山飾ってありました。

当時ことですから、本物であったのかもしれません。
何時もの様に「お付き」の私は、酒に酔うこともなく、
特に楽しむこともなく、なんら意味の無い会話をして
いたと思います。


私は、よく、こういった店に行くと、他の客を観察する
癖があります。
「あの、お客さんは、何業なんだろう??」
「ゼネコンの部長か?銀行か?不動産か?」
といった具合です。


その店にも不思議な格好をしたお客さんが一人いました。
長髪で和服のお客さんが目に入りました。
「不思議な感じの人だな〜」と。
その人は、他にスーツ姿の男性2・3名と飲んでいました。
特に盛り上がった様子もなく静かに、ただ飲んでいると
いった感じでした。
「こんな店に和服を着て来るなんて、小説家かな?」と。
しばらく、観察していましたが、全くどんな人かは
想像も付きませんでした。


そろそろ、店を替わろうということになり、私は、
失礼して、トイレに立ちました。
トイレで用を済ませ、出ようとしたところ、
先程の和服の小説家が入ってくるところに
出くわしました。
その時、幾つかのことに気が付きました。
その男性は、足を引きずっていること。
手か足に包帯を巻いていること。
そして、華奢で小柄であること。
更に、遠くで見るより随分年老いて見えました。
私は、「いったい何者なんだろうこの人は?」と思い、
すれ違いざまに、至近距離で、その人の顔を見ました。
その時に、その男性と目が合いました。


私は、思わず後ずさって、小柄な男性に
道を開けました。
私は、初めて人の目を見て「恐怖」を感じました。
本当に怖いと思いました。
別に睨まれた訳でもありません。
しかし、その「目」は、後にも先にも見たことの無い、
そこらで普通の暮らしをしている人の「目」とは、
全く違う何か別のものでした。
その瞬間、その人が誰であるか、思い出しました。



その人は、野村秋介氏でした。
「この人があの経団連事件を起こした野村秋介か!」と。



私が、偶然出会った日から数ヶ月後、野村氏は、朝日新聞
社長室で自害しました。
あの時、野村氏は、全てを既に覚悟していたのかもしれません。
サラリーマン時代、無為に過ごした銀座のクラブでの時間の中で、
あの一夜、あの店、あの目だけは、
何故か、今でも鮮明に覚えています。