新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

ジョン・レノンが亡くなった日の電話

たぶん、高校生活の終わりのころだったと思います。
今日は、僕の好きというか、憧れていたジョン・レノン
熱狂的にファンに銃で撃たれ亡くなったニュースが何度となく
流れていた日です。
確か、彼が5年振りに育児休暇を終えて出した、アルバム、
「ダブルファンタジー」は、名曲が沢山入っていて、
これからの活動が本当に楽しみに思っていました。
更にこれでビートルズ再結成の夢も潰えたと思いました。
その日の午後には、中学1年生の時に3ヶ月だけ付き合った?
と言っても交換日記をした同級生から突然電話がありました。
「じっちゃん(僕のあだ名です)、大丈夫?」
「どうしたの、何が?急に?」
「ジョンが亡くなってしまったから、落ち込んでいるんじゃ
ないかと思い、電話してみたの」
「ああ、ありがとう・・・・大丈夫・・・」
という様な会話をしました。
中学1年生当時の僕の脳みそは完全に行ってしまっていて、
つまり、起きてから寝るまでビートルズの曲が何時も
頭の中を流れている状態でした。
それも「赤アルバム」の1曲目から「青アルバム」の
最期の曲まで、順々に自動的に流れます。
ですから、交換日記といっても、書くことが無いので、
毎回、殆んどビートルズの詩を、それも特にジョンの
詩を引用して書いていました(冷汗)。
おそらくその辺を覚えていてくれたのだろうと。
更に、恥ずかしい話しですが、
当時は、くるくるドライヤーを親に内緒で購入し、
外人独特のゆるいウェーブを直毛の髪に掛けるため
何時も学校に行く前に、髪を巻いていました(オエ)
更に、授業中には、鼻を高くしようと、洗濯バサミで
鼻をつまみながら授業を受けていました。
先生が、「長谷川!鼻?何やっているの???」
「あっ、先生、僕を気にしないで、授業を続けてください。」
ね!完全にいってしまっていました。
それもこれも、ビートルズ、特にジョンに近づき
たいという一心だったと思います。
そんな私ですから、3ヶ月私の気持ちをもてあそんだ
末に一方的に僕を振った(というよりは、僕のキモさが
分かった)元彼女?から電話を貰った時は、当時の記憶が
蘇りました。
「あ〜確かにあの時は、ジョンの話しばかり書いていたな〜」
と改めて色々思い出し悲しくなりました。
今現在、既に自分が、ジョンが亡くなった歳を越えて
生きているのが不思議な気もします。
テレビでは、多くの世界中のファンが泣いている姿が
映し出されていました。
ですが、当時、一番悲しんでいるのは、やはり
ポールではないかと僕は、思いました。
(勿論、オノ・ヨーコさんは別ですが)
二人の世紀のツーショットを何時か実現できるのを
一番望んでいたのは、やはりポールだと僕は、確信
しています。
色々な過去の遺恨があっても、生きてる内に解決して
おくべきです。
死んでしまっては、もうどうしようもありません。
僕は、ジョンが亡くなって、親父も確か翌年に
亡くなって、色々なことを思いました。
まあ、一言で言えば、
「夢の時代は終った。もう大人にならなくてはならない」
と思ったことを記憶しています。