私が生まれた立川市は、元は米軍基地の街でした。
今は、昭和記念公園になりましたが、あそこに広大な基地がありました。
私が生まれる前の朝鮮戦争のころ、父親は、やはり立川にあった防衛庁の研究所でエンジニアとして働いていました。
朝鮮戦争が激化すると戦闘機の修理が追い付かず、父親も(防衛庁からの命令か、個人で請け負ったアルバイトか分かりませんが)立川基地内でファントムの修理をしていたそうです。
何故か米国人の修理担当者は黒人が多く彼らと一緒に血だらけになった操縦席に頭を突っ込み修理したと言っていました。
(パイロットは100%白人で、修理は殆ど黒人だったと言っていました。)
私が小学生の時は立川駅周辺で歩いている人の半分は米国人であったように思います。
マクドナルドが立川の伊勢丹に開店した時期も非常に早かったと思います。
私も米国人に交じってマックシェイクとチーズバーガーを食べました。何時も食べ切れず、ハンバーガーもマックシェイクも半分は大事に抱えて家に持ち帰りました。
ちなみに、今でも立川には花屋とクリーニング屋が多いのは基地があったからだそうです。
私が通った隣町の中学校にも、ハーフの学生が何人かいました。
共通点は、父親が米軍関係者でかつ既に帰国してしまっているということでした。
1970年、つまり大阪万博の頃まで多摩地区周辺の市町村は多かれ少なかれ立川基地、横田基地、大和基地の米軍に経済的に依存していたと思います。
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19歳の時に初めて沖縄に行きました。
ジープを借りて、島の北へ南へあちらこちらへ行きました。
主要な道路の常にどちらか側に米軍基地であったのには驚きました。
島のどこに行っても米軍基地・・・。これは正直あり過ぎる。酷いと感じました。
沖縄市は昔の立川そっくりな街でした。
原色の米軍向けのバーがたくさんありました。
夜の沖縄市は、おそらく更に似ているのだろうなと思いました。
東京の多摩地区には、今でも米軍横田基地があります。
(村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の舞台になった所です)
日本で一番長い立派な滑走路があるのがこの横田基地であるのは皆さんご存じでしょうか?
それ故、この基地からはギャラクシーという多くの戦車も運べる大型輸送機が離発着します。
旧国道16号線(現166号線)と新青梅街道の交差点は、米軍横田基地の飛行コースの真下にあります。
以前、この交差点で車のカーステレオで音楽をガンガン聞いていたら、
「グォー」と凄い音がして、カーステの音楽が全く聞こえなくなり、車の中が「無音状態」なりました。
いったい何が起こったのか?と思ったら、上空を例の巨大なギャラクシーが飛んでいきました。
そうですね。あの交差点であの音を一度体験したら、もう沖縄に無理は言えなくなるのかと思います。
難しい問題です。
私には解決方法は分かりません。
しかし、兎に角、ギャラクシーが上空を通過する音、それは、この世のものとは思えない全てをかき消す音でした。
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