新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

リクルートがかつて全国の不動産へ投資した理由


先日、リクルートの創業者、江副浩正氏が亡くなられた。
稀代のベンチャー起業家であった思う。
私は今回初めて知ったが世間では「東大が生んだ戦後最大の起業家」と言われていたようだ。


この江副さん(リクルート関係の人は部長も社長も皆「さん付け」で呼ぶので、私も失礼ながら「江副さん」と呼ばして頂く)が様々なビジネスの拡大と同時に行ってきたのが不動産投資だった。


私は江副さんに直接聞いた訳ではないが、非常に近しい上司にこんな話しを聞いたことがある。


「何故リクルート(グループ)はこんなにも不動産を買ってきたのか?」
この質問をしたのは、おそらく不動産バブルが崩壊してリクルートグループとしてにっちもさっちもいかなくなった頃だと思う。


上司はこう答えた
「一つは、リクルートの財産は人材が全てだ。何か特許や特殊な技術をもっている訳ではない。だから最高の人材を常に取る必要がある。よってこれまでも採用には最大の人手とお金と時間をかけてきた。しかし、以前、無名な時代はなかなか有名大学から人が採用できなかった。そんな折、例えば京都の烏丸通りに支社ビルを建てたら京都大学から数名、神戸の三宮に同じくビルを建てたら神戸大学から数名優秀な学生採用できたのだ。だから全国の一等地のビルを建てていった訳だ」



「二つ目は、リクルートの事業を江副さんは、ある意味『虚業』だと思っていた。何時か誰かに真似されて、廃れていく、だから儲かったお金で何か『確かな物』を買って残しておきたいという思いがあった。それが不動産だった」


それ以外には、高校、東大の同級生だった長谷工の元社長合田耕平氏に「不動産の指南」を受けたとか、当時の大物政治家に「不動産は将来間違い無く値上がりするから」と勧められたことか・・・。


兎に角、私は投資部門の内部にいて、江副さんが「不動産を極めて好きだった」ことは紛れも無い事実だったと思います。
その理由の一番は単純に「儲かるから」だっと。


それ故、全くの異業種であったリクルートコスモスや(不動産専門のノンバンク)ファーストファイナンスを創ったのです。


当時、確か私が所属していたリクートコスモスやファーストファイナンス等々、リクルートグループ全体で最大2兆円を超える負債があったと記憶しています。そして、その多くは不動産がらみだったと。


さて、江副さん=当時のリクルートグループは何故、不動産投資において失敗したのでしょうか。


それは、
一言で言えば「やり過ぎた」ということでしょう。
北は北海道から南はオーストラリアまで。
マンション、ビル、ゴルフ場、リゾート・・・・。
更に言えば「高値で買い続けた」ということだと思います。


(我々は、やはり不動産市況は必ずサイクルを描くことをしっかり学ばないといけません。どんな天才事業家であっても高値で買っては大きな損害を被るのです。もう一点、キャピタルゲインの発想しか当時はありませんでした。インカムゲインの発想があれば・・・と)


しかし、当時これは何もリクルートだけの話しではありません。
当時は興銀、長銀、山一、拓銀、ゼネコン各社はたまたメーカーまでもが不動産会社子会社や不動産専門のノンバンクをつくり全国の不動産を直接、間接買いあさっていました。


これだけを書くと江副さんが何だか不動産バブル王のような方だと思われるかもしれません。


しかし、一番お伝えしておきたいのは、江副さんという稀代の起業家が創ったリクルートという会社は、上記の「兆」を超える借金を民事再生等行うことのなしに何と全て自力で返済したのです。

リクルートの皆さん、大変ご迷惑をお掛けしました。末端にいた私も大変申し訳ないと思っています)



この「兆」を超える借金を債務免除等無しに返済したのは歴史上、リクルートと佐川急便だけらしいです。


そんな化け物みたいな会社を創業し育てたのが江副さんです。


稀代の起業家、江副さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

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