Japan Far East Real Estate

Hasegawa Real Estate and Economy, Inc.

アジア弾丸紀行 by 長谷部裕樹(ヤンゴン→バンコク→クアラルンプール編)


はじめに
私が公私共にお世話になっている長谷部裕樹氏によるアジア弾丸紀行です。
長谷部氏は東北大学卒業後、リクルートリクルートコスモスを経て現在は外国人・留学生に特化した人材紹介会社「オリジネーター」代表です。
大学時代は柔道部で活躍。小川直也、全日の武藤敬司とも対戦し引き分けた方です。
ダイナミックに成長するアジア諸国の最新事情を!いざ!(長谷川)


***


7月31日 ヤンゴン雨 バンコク
6時に起床。
朝一にプールとサウナを終えて、フロントで会計。
ここ、パークロイヤルヤンゴン:2泊のお値段は400ドルでした。


ジョゼフの運転で、ヤンゴン国際空港へ。
聞くところによると、旅客量を増やすために拡張工事を計画中とか。
たしかに、発着先を確認すると、多くがバンコクシンガポール・中国昆明・北京。
なかには、台北ハノイ・韓国も。
そして、日本は、残念ながら、来た便の折り返しで21:50発の1便のみ。


オバマ大統領・安倍首相がミャンマー入りなど、ここ3年ものすごいスピードで経済発展を遂げるミャンマーだが、まだまだ日本には遠い国のようだ。
ベトナムデベロッパー:ホアンアインザーライ(HAGL)がベトナム投資BKの融資を受けて、ミャンマー政府より70年の土地使用権を得て、2016年まで440億円をかけて、

1期
1. SC
2. 27階オフィスビル
3. 23階建て5星ホテル(480室)


2期
1. オフィス
2. 1800戸の高級アパートメントを
完成させるのだが、


日本からの目立った投資は、驚くことに
「マンハンBK」
日本から投資だが、マネロン?日本人ではない投資!!


その他、ミャンマー投資の主なデベロッパ
1、サージパンアソシエイツ(SPA):香港系
2.ヨマバンク(YOMA):ベトナム
3.フォーストミャンマーインベスト(FMI)



と、こんなことをラウンジで書いているうちに、搭乗時間が迫ってきました。
続きは、バンコク編で。



バンコクに定刻に到着。

ヤンゴンバンコク線なのに、読売新聞がよめました。
プレミアムレーンで、待たずにイミグレも終了。
そういえば、最初のバンコクはトランジットの一泊だったが、飛行機を降りると出口にカートが待っていて、そのカートに乗ってイミグレへ。
イミグレ終了後は荷物がすでにでていて、タクシー乗り場まで。


なんていうサービスなのかと感動したものでした。


今回で、4回目のバンコクだが今回もスクンビットと、タニヤ(パッポン)の間をうろうろするだけで終わりです。


到着後、またまたプールで泳いでサウナ入って一汗かいて、18時の待ち合わせまでマッサージ(200バーツ:700円)をすませ、スクンビットプラザの待ち合わせ場所へ。


今日の会食の相手は、元同僚のOさん。
Oさんは、昨年9月までコスモス社にいて独立。
知り合いの設計事務所と共同で、ヤンゴンでマンションデベロップをするということで、12月からヤンゴンに行きました。
奥様も、2月から合流。ちゃんとついてきて偉いね。。。
ヤンゴン入りして半年。ヤンゴンスタッフ3名と、日々土地を物色しコネクションを作る毎日。正直、まだ何もしていませんと言っておりました。


私が昨日お会いした、S社の若者二人を話したところ、非常に興味をもち早速コンタクトしますとのこと、やはり日本人同士。信頼のできる相手は大切です。


ヤンゴンでは、不動産ライセンスはないので、一般的な素人ブローカーが多数存在。
サービスアポートメントの仲介は、貸手・借手双方 一か月(日本では0.5ヶ月がルールだが)らしいのだが、決まったと思うと、いや、その間に二人いて・・・(所謂アンコ業者)といわれ、仲介料が半減することはしばしばだという。


Oさんは、そのような仲介には目もくれず、ひたすらコネクションをつくる毎日。
彼に言わせると、国有地の入札もコンペで決まるので、さほど取得は難しくないとのこと。
すでに、日本の大手ゼネコンもヤンゴン入りし、虎視眈々と大型開発を狙っているようだ。


確かに、インフラ整備には円借款ODAもはいるだろうし、3年間に車の数が5倍に増えたことを考えると、これからの伸び代は楽しみ。
ただ、ミャンマー語は日本と文法は同じといえ、あの丸丸文字を読解するのは、非常に難解。契約書は大丈夫なのだろうか。


と、今日もバンコクヤンゴン話に花を咲かせ、焼肉屋を後に、明日に備えるために就寝。



8月1日 バンコク

さて、今日は朝から3件のアポイントと夜の会食である。


日本は猛暑だとか。ヤンゴンバンコクも日本の蒸し暑さに比べ各段にすごしやすく、今日もスーツの上下で、出勤である。


10:30
バンコク店舗内装業を手掛けるEさん。
日本料理屋・店舗を中心に業容をひろげ、同様のビジネスをカンボジアベトナムに広げようと検討中とのこと。安全面の高まりによりロジステックスの広がりが急激に拡大しているということで、その意味でバンコクの地の利は最高とのこと。


日本企業の進出によって、それに付随するサービス業が伸びるという典型的なビジネスなので、リーマンショック後、日本をすて、バンコクにきて成功したという彼の言葉は非常に力強かった。


その後、タニヤにある、昨年口座を開設したシミコ証券へ。
株の売買は、たいしたことはないのだが、円安に振れている分も合わせると、投資口に対して1・5倍に。
確かに、日本株でも保有しているだけで昨年から、1・5倍になっているのだが、やっぱり黙って置いているだけで、資産が増えるのはうれしいものである。


そんな、証券会社の前にはたくさんの人が株価ボードを眺めていた。


12時
タニヤプラザにある、私の従兄が勤務する、大気社へ。
大気社タイランドは、日本と同じ利益をたたき出す会社のドル箱支店。ゼネコンランキングでも、サブコンでありながら、竹中に次ぐ売り上げを誇るタイの一流企業である。


一昨年の水害以降、昨年は工場立ち上げで、だいぶ特需に恵まれたとのことであった。


大気社も、日本企業の進出にともなう工場建設空調工事受注というのが仕事なので、ベトナムカンボジアインドネシア・そしてヤンゴンにも出張所を出したということであった。
日本企業の進出は加速度的に増えているというし、バンコクの日本人もそれに比して増えているようである。


事実、毎回同じところをうろうろするのだが、BTS(モノレールのような乗り物)は延伸し、その駅前に同じようにSCが立ち並んでいる:市街地の広がり。
そして、どの時間帯も乗客であふれている。
食料品を除く、消費財は日本と比べてさほど安さを感じないにも関わらず、それらを購買する経済力がついてきている(地方との格差はあるだろうが)。


そして、イスリムの国ではないので、食べ物の制約がない。
7月1日より、タイ人の日本渡航に関し、VISAの必要がなくなったので、これからますます、日本への旅行客が増えることになるだろう。


14時
サイアムタワーの、毎日ランゲージスクールK先生と面談。
600名(分校を入れると900名)のタイ人が日本語は勉強中。
ここでも、弊社の新事業協力のお願いと、最近の留学生動向について意見交換。


以前と比べ(k先生も13年間バンコク在住)、生活レベルが改善し日本語熱も上がっている。ただ、未だ日本企業の入れずに、バンコクに戻り就職活動をしている学生が多いのとのことであった。これらを改善する策を新事業にするので、ここで述べることはできないが、十分協力を頂けそうで、非常に有意義な会談をなった。


バンコクの学生(BTS内で本を読んでいる姿よく見かけるは)、非常にまじめで田舎からチュラロンコン大学をはじめとする、国立大学にはいろうと必死に勉強し、良い大学に入ることが、幸せの第一歩と考える親が多いので、必然的に教育熱心になるということである。


従兄の務める大気社も毎年20名前後の大学卒業者を採用するらしいが、日本人と比べて、非常に優秀な学生が多い。
ところが雇用条件が違うので、30代半ばになって辞めていく従業員もおおいとか。
ユニクロではないが、そういう地域。国別間格差もだんだんなくなっていくのだろうが、まだまだ難しい問題である。



途中マッサージを受け、ホテルに帰りプールとサウナへ。


6時からの、Mさんとの会食を待つことにする。

Mさんは、赤坂プロジェクトで大変にお世話になった地主さんで、以降親しくお友達付き合いをさせていただいている。
Mさんも、日本の重税感感じて、日本脱出をした一人である。


さて、Mさんと会食が始まってほどなくしたころ、体の異変を感じる。
さっきから、お腹が緩いと思ったのだが、どうも胃痛がしてきた。


せっかくの料理に手も付けられず、Mさんとの楽しい話も、そこそこにトイレから出られず、お詫びをして、1時間前後でホテルに戻る。


明日はKLに移動なのに、いけるのか!
持参した胃薬・抗生物質・痛み止め:解熱剤をのみベッドへ。
熱も38℃。まだまだ上がる予感。



8月2日 バンコク曇 クアランプール曇

七転八倒の中、何度もトイレで用をたし、またベッドへ。そんなことを繰り返しているうちに、夜が明け6時半に起床し、7時にチェックアウト。
未だ熱はあるものの、昨晩よりはだいぶ回復してきたか。


顔色も悪いが飛行機に乗せてくれるか?
マレーシアには入国できるか?
伝染病でパンデミックにならないか?


などなど、考えているうちに無事出国のイミグレも終わり、出発前にはシャンペンにいただき、機内でもなんどかトイレのお世話になりながら、無事にKLに到着したのであった。


KL国際空港からホテルまではタクシーで1時間10分:800リンギット:3000円。
距離にして40Kmだから、成田―東京間に比べると多少近い程度。 
空港とKL市内はエクスプレス(30分)で結ばれているようだが、KLセントラル駅と、中心部が少々離れているのと、現在は駅舎の工事中で私のような大量の荷物持ちにはタクシーをお勧めしたい。


ホテルにも無事にチェックイン:KLの中心部にあるシェラトンインペリアルに宿泊。


ホテルについて、熱を測ったら、36.5度まで下がっていた。
荷ほどきをして、洗濯して、仕事のメールチャックしたら、はや5時前。急ぎ支度をしてKl散策へ。

ホテル前からも開発中の高層マンションが見えるが、実際に目の当たりにしてその多さに驚く、これらの価格リポートは明日以降とし、今日は街の概略の大きさ確認である。


そこで、ここ最近の問題である老眼に直面する(――;)。
以前はなんともなかった地図の小さい文字が読めない。


結局なんとなくしか把握できないので、多少の心配を抱えて出発。


まずは、ホテル前のモノレール駅:メダントランク駅からKLセントラル駅へ。このモノレール。ゆりかもめより短い2両編成。途中乗り切れない人が利用する。モノレールは、世界でも有名なツインタワー:KLCCの下をとおり、旧市街・中華人街を抜けてKLセントラル駅に到着。駅前では再開発が行われていて、現在はモノレールKTMコミューター:鉄道間に行くのに不便であるが、完成すると、だいぶ便利になるだろう。

ここで、元来の好奇心がむくむくと持ち上がり、あまり体調はすぐれないもの、KTMにのってKLの郊外へ。


なにしろ、夕方のラッシュ時。それにもまして自動販売機ではなく、手渡しで切符をかうものだから長蛇の列。なんとか切符を購入し、セレムバンラインへ、途中:バンクネガラ駅で降りる予定を降りずにそのまま、スンガイブラム駅まで30分車窓の旅を楽しむ。
(つまりキセル


この車窓の旅、どこにいっても行うのだが、非常に興味深かった。30分郊外にでるとだいぶ街並みが変わること。
途中の川はどぶ川と化していて、ゴミが散乱していた。
どの駅も駅前の発展度はいまいちであった。


スンガイプラム駅は、駅前で住宅開発が進んでいるようで、KLセントラル駅まで、30分
値段はいくらでしょうか?


戻って、バンクネガラ駅へ到着。
ホテルまでの道すがらにある、そごうに入り、ビールを見つけ感激!
お値段は、一番安い青島麦酒:6RM:200円でした。


未だ、お腹の調子が優れないので、ホテルに戻って日本から持参した「菊乃井」特製湯葉にゅうめんをいただく。
優しい日本の味に感激(T。T)!!!


帰国したら村田さんに、KLで、あのにゅうめんで救わましたと報告をしよう。


あの、村田さんも学生時代(立命館大学ご出身)、当時、日本人が未開の地だったタイのチェンマイに一か月以上滞在し、いまでは。大のパクチー好き。


さすがに日本料理にパクチーを使う機会はないようだが、日本料理界のトップ:現代の日本の名工にもこんな過去があるというお話でした。


就寝前:今:0・30.今日は金曜日の夜。
窓の下をみると、まだまだ渋滞が続いています。
まるで、バブル期の六本木のよう。



8月3日 KL 曇

体調もだいぶ戻ってきたので、アポ前に、プールとサウナへ。
ようやく日本と同じリズムになってきました。朝食は、軽くヨーグルト・


10:30
KLのゴールデントライアングルの一角:ブキットバンタン駅(モノレールで3駅)で下車し、Klプラザビルにある、日本語高等教育機関を訪問。


こちらには、N食品様から受託した来年入社予定のマレーシア人の日本語教育をお願いしている。
また、ヤンゴンバンコク同様弊社の新ビジネスの協力のお願いにあがりました。


T校長と面談。1990年に開校の老舗校です。
マレーシア人は、以前は日本語を学ぶことでスキルアップして日本企業への就職という憧れがあった。
ルックイースト政策:マハティール大統領が推奨し、日本の集団主義と勤労精神を学べという政策。また、旧宗主国:イギリスと留学生問題で対立し、1998年のアジア危機の際には、リンギットの国外持ち出しを禁じるなどの政策をうったが、その時ですら日本の留学は認めていたという、非常に親日的な国であります。
詳しくは、WIKIでマハティール大統領・ルックイースト政策をご覧ください。


その後、日本がバブル崩壊以降、なかなか経済成長をしないうちに、自国の経済力がアジア危機を乗り越え、経済市長を遂げる中、もともと、英語教育を行ってきたので、現在の留学先は、日本から欧米にシフトされてしまい、残念なことに、二番手集団が日本へ留学をすることになっているようである。


ここ数年、日本の日本語学校・専門学校などの留学フェアでも来場数が減少しており(これは我々も把握している事実)、このままではますます日本に対する期待が薄くなってしまうと嘆いておられました。


日本企業が、東南アジアの留学生を採用したいと願う一方。
進出企業先の国には、日本への魅力を感じなくなっているという現実を改めて感じたミーティングでありました。


中国や韓国のように、いつまでの謝罪を要求する国でなく、現実を。これからの未来を語り合える国の人々と、ビジネスをしていこうではありませんか!


さて、一時間のミーティングを終え、またいつも不動産屋へ戻ることにしよう。
ここで、日本から持参した上着も役目を終えて、ゴミ箱へ。
このようにして、古いスーツを処分するのであった。
2002年:NY、こうして捨てたスーツを数時間後に、違うおっさんが来ていた時にはびっくりしたものだが。


身軽になって、ゴールデントライアングルを散策(業者的にいうと土地見)。
どの都市に行ってもそうだが、極力タクシーを使わない。
ひたすら歩く。そして、移動手段は公共交通機関


これを実践すると、大概の街は一日では把握することができる。
いつも、この調子なので海外渡航が一人になるという寂しいことにもなるのだが。


今回も、ビキットバンタン駅近くの、パビリオンSCへ。
中吹き抜けの、日本でいうとララポートと、デパートのアイの子のような作りである。

ひととおり、中を見たのちに、TOKYOストリートなる看板を発見。

開業2周年ということで、大きな折り紙のモチーフと、「ももくろ」の音楽がガンガンかかっていた。
そのうちの一軒が非常に混んでいたので、入ってみることにする。
「すき焼き・しゃぶしゃぶの店」らしい。
その調理方法は、火鍋用の鍋にすき焼きとしゃぶしゃぶの汁(だしというより汁)、を入れて肉(牛・鶏・羊)。野菜を食べるもの。どうも食べ放題らしく多くの席が山盛りにした、皿をどんどん鍋に入れていた。


おいおい、それではしゃぶしゃぶにならないだろう(怒)。
そんなことお構いなし・日本のルールなんか知ったこっちゃない。


その後、ごった煮状態になった鍋から、更に移して冷ましてから食べる。
どうも、これがこちらの流儀らしい。


紙のランチョンマットを見ると、日本語で丁寧に食べかたの解説が書いてあるのだが、
日本語だからわからないよね・・・(^^;)。


私は、昨日のこともあり、日本では考えられない少々で終了し、あとはヒューマンウオッチに専念する。
ハラルの食事ではないので、やはり中華系の人を多く見かける。
飽食の時代に育ったせいか、経済力に恵まれたのか、明らかに肥満と思しき人々。
彼らは、ごった煮を食べたあと、山盛りのケーキにアイスクリームも完食して。
これで35RM:1200円でした。


その後腹こなしに、また歩くことに。
どこでも目立つKLCCと、KLタワーのおかげで、間違うことなく、3時間の土地見を終了して途中ビールを買い足しホテルへ。
ドバイ・イスタンブールではビールを売ってる店を探すのに一苦労したが、ここでは普通のコンビニで、リカーを扱っているので、非常に助かります。


明日の対象物件および、MRの場所を確認できたので物件の詳しい不動産の詳しい案内は明日へ。


ホテルに戻って、プールとサウナで休養し、夜に備えることに。
昨日と違い、元気がでてきました。


7時にKLCCの夜景を見にことに。
ここでも、新しい公共交通機関まで10分歩いてバングワンジ駅へ。
ここから2駅で、KLCC駅だが、ここでも好奇心で、最終駅まで行くことにした。


KLCC駅の隣:アマンパークまでは地下鉄。その後地上にでて、さながら東西線(西葛西―西船橋間)の様相。
驚いたのは、KLCCから2駅目ですでに、街が真暗ということ。


街には街頭の明かりもなく、暗闇の中を電車が走っている。途中道路の車のライトは入るものの、それ以外は街の明かりも気がつかないのだ。


KL中心部は日本以上に高級外車が走っているが、一方、少し離れると、多くが利用料50円の公共交通機関を利用していることに気が付く。彼らは、これらをつかって街燈もない中、パーク&ライドという方式で家路に帰るのであった。


この雰囲気もわかったので、途中駅で引き返すことに。
この引き返しの電車で気が付いたのだが、運転手がいない。
そう、日本製:ゆりかもめと同じシステムが使われているのだ。


KLCC駅に到着20時。
付近は観光客であふれ、同じく私もFBにアップ。


近代建築もいろいろ見てきたが、上海浦東のWFCビルよりライトアップの美しさに感動!
ドバイ:ブルジュハリファ以来だろうか!


そういえば、日本のスカイツリーは遠くから眺めるだけで一度も言ったことがない。
今度比べてみることにしよう。

お腹は昼のすき焼き風火鍋のおかげで空いていないが、帰るすがらなにかあるだろうと、歩いてホテルに帰ることに。
ところが事務所街なので、それらしきレストランガ見らたらない。


これは、そごう周辺まで歩かないと夕飯にありつけないかと思ったら、楽しそうな音楽が流れるレストランを発見。入ると家族連れがいっぱいのビュファタイプレストラン。


そのうち、舞台からマレー民族音楽に乗った踊り子立ちが登場。


一緒になって踊りだす観客達。そうこれは沖縄民謡居酒屋なのである。
違うのは、酒がおいてないこと(T。T)。と、
料理が非常に不味いことでした。


料理・音楽込みで76RG:2700円でした。


そして、10時にホテルに戻り、こうして渡航記を作成中。
明日は、KLの不動産事情をレポートいたします。


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株式会社長谷川不動産経済社

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*尚、本書は2009年に出した「お金を生み出す家を買いたい」を加筆、改稿したものです。特に税務関連を大幅に加筆しました。節税の為の法人利用の方法、メリット、デメリットをできるだけ詳しく解説しております。