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I先生は最後に評論家になるなと私に言った

 
小学校4年の2学期の終わりにクラス担任のI先生が急遽退職されることになりました。ご結婚と出産を控えてのことでしたが、親達は「学年の途中で担任を辞めるなんて」と、若干非難がましいことを言っていました。


私にはそのことが何が問題なのかよくわかりませんでしたが、大好きな先生でしたので急に辞めてしまうという事実に対して上手く気持ちを整理することができずにいました。


結局、I先生が引っ越す前に先生の家に皆で遊びに行こうことになりました。


2学期が終わり、冬休みに入ったある日、仲のよかった生徒数人で先生の家に訪れることになったのです。
しかし、私は参加者が増えるにつれ、「やっぱり俺は行かない」と皆に宣言してしまいました。正にあまのじゃくな子供だったのです。


本当は行きたかったのです。ですから、先生の家の電話番号を書いたメモは捨てられずに持っていました。

皆で先生の家を訪問する当日、やはりどうしてももう一度I先生に会いたい一心で「先生!これから行ってもいいですか!」と電話をしてしまいました。

先生は「そろそろ皆は帰る頃だけど、これから来る?一人で大丈夫?」と。


私は、電車を乗り継いで先生の住む国分寺へ向かいました。駅の南口から歩いて数分ほどの、今思えば、いわゆる木造の下宿にたどり着きました。


私の記憶では、先生の部屋は、広くも狭くもなく、清潔感があり、別荘のような壁の木目が印象的でした。
先生といろいろな話をしているうちに、気がついたことがありました。先生の机の上の本棚に真っ赤な煙草の箱が一つ置いてあったのです。


父親が吸っていた日本の煙草とは明らかに違う鮮やかな赤色で、子供ながらに、外国の煙草だとわかりました。
私は何か見てはいけないものを見てしまったような気持ちになりました。


I先生はその様子に気づいてか、急に、私の2学期の成績について話を始めました。
「長谷川君、2学期の成績は1学期に比べてよくなったね。がんばりましたね。」
しかし、私はその成績表を見た父親がもの凄い剣幕で怒ったことを伝えました。


「えっ?それはどうして?」と先生が聞き返しました。

私は、成績表の一番下の通信欄に“長谷川君は評論家的なところがある”と先生が書いたことに、父親が何故か激怒して、お前はこれだから駄目だと言われた事を伝えました。
先生は少し真面目な顔をして、私にこんなことを話してくれました。


「お父さんはきっと評論家が嫌いなのね。でも、先生も同じよ。世の中には、一生懸命に何かをする人と、その一生懸命に何かをする人を批評する人と、そして何もしない人の3種類の人がいると思うの。先生は、長谷川くんが大きくなったら人を批評する人ではなくて、一生懸命何かをする人になってほしいと思ってそう書いたのよ。多分お父さんの気持ちも同じなんじゃないかな。」


三つ子の魂百までとは申しませんが、この体験は私にとって、とても印象的でかつ大きな影響を残すものでした。


社会人になろうとした時、そして独立してビジネスを行っていく時、そして投資行為をする時、私は常に「評論家であってはいけないと、常に自ら実践する者でなければならない」といった思いに駆られてきました。
 

特にビジネスや投資行為においては、他者を評論していても何の役にも立ちません。
まして、評論する立場の者は、何らリスクをとっておりませんので、当然ながら何らリターンを得ることがないのです。
リスクを取らずしてリターンは得られないという事実は、ビジネスや投資の大原則なのです。


長谷川不動産経済社