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マハラジャVIPルームの夜


私は未だに「CD」のことを「アルバム」と言ってしまう。「パンツ」のことを「スラックス」と。

また「クラブ」という言葉は何時も出て来ず、未だに「ディスコ」と言ってしまう。


そのディスコを初めて知ったのは中学3年生の夏、同級生が西武線に駅のホームに上下白のスーツで立っていた。
「お前そのかっこうでどこに行くんだ??」
「これから新宿のディスコだよ」
「ディスコ??」
後で知ったのだが、当時、世間ではサタデーナイトフィーバーなる映画が流行っていた。


高校時代、ディスコについて良い思い出は何も無い。
新宿歌舞伎町の「ニューヨークニューヨーク」、「インデペンダントハウス」、「カンタベリーハウス」等々、時々行く店が東亜会館周辺にいくつかあった。


ダンスというか踊りの上手い下手というのは、あれは生まれもったセンスで決まるのではないかと思う。
足が早いとか背が高いとかと同じで、つまりダンスが上手い者は最初から上手のではないかと。
私の同級生でも抜群に上手いのが一人だけいた。

彼は昨今のようにどこかのスタジオでダンスを習っているなんてことはなく、全くのオリジナル、つまり自己流だった。
それでも何時も黒人のようにセンス良く踊っていた。
他の者は皆殆ど普通レベル。
私は下の下のレベルだった。


自分なりに上手く踊っているつもりでも
「それ何?何やってるの?」
と心配顔で何度も聞かれたりした。


だから、面白い訳がない。
尚かつ当時の歌舞伎町のディスコでは一緒に行った誰かが3回に1回はどこかのチンピラや暴走族に絡まれた。
その度に東亜会館から西武新宿駅まで全力で走って逃げた。
私は自慢じゃないけれど当時50m、5.7秒だったからまず捕まらないのだ。
ダンスは全く駄目だったが短距離だけは才能があったのだ。


当時の不良少年少女のファッションは幾つかに分裂していた。
一つは暴走族風、一つはタケノコ族風、それにYMOブームからかテクノ風、そして大学生を中心としたサーファー風。


私も大転換を何度かした。
高校3年のある日、川島君が家に急にやってきた。
玄関先で彼は開口一番
「ハセガワ!時代が変わったよ!」
と見慣れない変な髪型と変な格好をして僕に重大発表をしてくれた。


彼は地元の暴走族には入っていなかったけれど間違い無くちょっと前まで一人暴走族だった。
彼は続けて曰く「これからは間違い無くサーファーの時代だ!!」と。


私は、既に学校も違うのにわざわざ「時代が変わった」ことを伝えに来てくれたことに深く感謝した。


「その変な先の丸い靴やアロハを裏返したようなシャツ、ピッタリしたズボンどこに売っているの?」と私も早速買いに行った。


私はこれで、人生が楽になった。
勿論海の無い街に住んでいたのでサーフィンなんてしたこともなかったが、電車の中で絡まれることが激減したことが何より嬉しかった。


さて、大学に入った頃もディスコブームは続いていたけれど、私はもう既にディスコには飽きていた。そもそも踊りは下手だし・・・・。


大学の後半、六本木から鳥居坂を下った所にあったマハラジャが流行っていた。
同級生の兄貴が店長をやっていたこともあり、私も時々行った。
川崎麻世等の芸能人もよく見かけた。

「I店長の知り合い」と告げると、黒服は「本当かいな」といった顔をしながらも毎回比較的良い席に通してくれた。
しかし流石にVIPルームには入ったことは無かった。


ある晩、親友の元彼女だったモデルの娘から自分の誕生会をマハラジャでやるから来ないかと誘われた。
あまり行く気はしなかったが、当時は兎に角、時間がありあまっていて暇だったのと、その娘のモデル仲間も沢山来るというのを聞いて、地元のSを誘って行くとにした。



その貸し切りでもなんでもないパーティーは面白くもなんともなく、その誕生日だという本人だけがやたらにはしゃいで踊っていた。


私はSと席に座って、皆が踊るのをただ見ていた。


しばらくするとマハラジャの中が騒然としだした。
一人の中年のオジさんが何かに怒り狂って暴れ出したのだ。


後で分かったのだが、この日、誕生日だった娘が踊りながら調子に乗ってスプレー缶でゴム状のものを噴射したのだ。


それが中年のオジさんのセーターにこびり付き、「取れないじゃないか!!」と怒り始めたのだ。


オジさんは彼女を追ってフロアー中を追い掛け、彼女はひたすら逃げ回った。
彼を制止しようとした彼女のボーイフレンドや黒服達をオジさんは次から次へと首を掴んでは投げ飛ばしていった。


そんな様子を見て我々(私とS)はやっと何かトラブルが起きたと気が付いた。
「いったい何が起きたんだ!?」


その怒り狂ったオジさんは僕らの席にもすぐにやって来た。
「あの女はどこだ!」
と怒鳴っていた。


そのオジさんをよく見ると、歳は40代前半、髪型は西城秀樹のような、サーファーのような、とにかく肩までの長髪だった。
イタリア製のような派手なセーターを着ていて、そこに彼女が発射したゴム製の樹脂がこびりついていた。
目は激しく赤く、充血していた。


私は、殴り掛かってきたらやってやろうと決めていた。


何故ならその夜はSがいたからだ。
Sは某大学のアメリカンフットボール部のキャプテンで、それまで彼の喧嘩を何度も見ていたから。まあ安心していたのだった。


オジさんの動きが止まった。僕も立ち上がった。


しばらく睨み合いが続いた。
(殴り掛かってきたらやってやろう)


その時、何やら変な格好をした若い男達がどこからか怒鳴りながら早足に集まってきた。
見れば皆パンチパーマだった。
「これは・・・・・・もしかして・・・・ヤバイ!」


中年のオジさん、いや、「兄貴」は舎弟達に「あの女を探せ!」と再び怒鳴った。
その時、後から誰かに服を引っ張られた。
黒服が「逃げろ!」と僕らを暗がりに誘導してくれた。
「何でヤク○が長髪なんだ・・・・・(涙)」


しかし、2階から1階に駆け足で降りてさあ店を出ようとした時、先程のパンチ達に追いつかれ囲まれてしまった。
「お前は、あの女の連れか?どこに行ったんだ!兎に角一緒に来い!!!」
と私は拉致された。


どこに拉致されたかと言うとマハラジャのVIPルームだった。
暗い高級ラウンジのような雰囲気だった。


VIPルームで、おそらく年齢的には私と同じ頃のパンチ達4〜5人に囲まれさんざんしぼられた。
「お前はどこから来たんだ?(耳元+大音量で)」
「立川です。(本当はその隣りだが多分知らないので『立川』と)」
「ここはテメーのような田舎者が来るところじゃね〜んだよ!!!(耳元+大音量で)」
もう兎に角「テメーこの野郎」の連続だった。


自分は「見ていただけ」、「彼女は誰だか知らない」としらを切った。


それが数十分続いたと思ったら、向こうから西城秀樹風の「兄貴」が現れ、私とパンチ達の横を素通りした。
その時
「さっきは悪かったな」
と兄貴が言った。
兄貴の様子や目付きは短時間に驚く程に「普通」に戻っていた。
これで帰れると思ったが、その後もパンチ達の罵声は続いた。


そうこうしているうちに大学の名前を聞かれた。
それに答えると私の後方から「オレと同じ大学じゃないか」と声がした。
振り返ると兄貴とさしで飲んでいた芸能プロダクションの社長のような人が笑いながらこっちを見ていた。
兄貴はもう何も無かったように無表情でグラスを傾けていた。


「おにいちゃん、もう懲りたろ、これからは人を見かけで判断しない方がいいぞ」
そしてパンチ達に「もうそろそろ帰してやんなよ」と。
再び兄貴を見ると全くの無表情だった。


私は間髪入れずに立ち上がりVIPルームの出口に向かって歩き出した。
パンチ達は私を止めはしなかったが、相変わらず「テメーのような田舎者は二度と来るな!!」と最後まで罵声が飛んできた。


一階に降りると律儀にSは待っていてくれた。
二人とも無言で店を出た。


その他の連中は誰一人としてもうどこにもいなかった。


これが私の最初で最後のマハラジャVIPルーム体験となった。


後々、その兄貴があの辺りの組の大幹部だと聞いた時は
「あ〜危なかった」
と心底思ったのでした。





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