新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

あなどるなかれ、お弁当男子


不動産業界では、第一次ベビーブームと言われる第二次世界大戦直後に生まれた団塊世代の子供達、いわゆる団塊ジュニア世代(おおよそ1970年代生まれの世代)に対して、以前より大きな期待をしていました。


つまり、彼らがまだ20代の頃から、「今後不動産業界の黄金期がやってくる」と断言していた経営者が何人もいました。なぜならば、団塊のジュニア世代は、彼ら彼女らの親の世代同様に人口のボリュームが非常に大きく、彼らが30代に突入する頃から(不動産を購入する年頃になるにしたがって)持ち家の需要が大きく増えるだろうと期待したのです。


よって「業界」としては、団塊のジュニア層が不動産を買う時期が到来すれば、売上、利益共にも大きく増大し、再び業界は活気付くだろうと楽観的に考えていたのです。


ところが、この団塊ジュニア世代は、不動産を購入するということに対して積極的どころかその逆でした。不動産どころか、車すら買わず、車どころかお酒も・・・・と兎に角期待はずれたのでした。人口のボリューム増加がイコール需要の増加に繋がらなかったのです。


彼ら団塊のジュニア世代は、バブル世代(私はこの世代に含まれますが)とは明らかに趣味嗜好や経済観念が異なっています。


これまで、私なりにこの団塊ジュニア世代を理解し分析してきましたが、なぜこのような趣味嗜好や経済観念になったのでしょうか。一つ明らかなのは、この約20年続いた日本の経済的な不況が影響しているということでしょう。


彼らは高校、専門学校、大学を卒業する時期に厳しい就職難を体験してきました。そして就職した後も長く続く経済的停滞です。ここまでは、一般的に言われていることだと思います。


ここでは、彼ら世代をもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
みなさんの初めての記憶にあるテレビニュースはどんな内容でしたでしょうか?
私の初めての記憶にあるテレビニュース、それは学生運動の光景です。おそらく幼稚園から小学校に上がる頃だったかと思いますが、テレビでは毎日のように大学生がスクラムを組み、街を練り歩き、時には機動隊と衝突するといった映像を鮮明に覚えています。子供ながらに、なぜ学生はこうデモばかりしているのだろうかと不思議に思いました。この時代、正に1970年前後の日米安保交渉における学生運動の様子が連日、テレビを通して強烈な印象として脳裏に焼き付いています。


さて、団塊のジュニア世代の方々がテレビのニュースを認識できるようになった年代から現在までの20年間を振り返ってみましょう。
彼らが見てきたニュースを想像すると、非常に暗い経済ニュースを見てきたということが分かります。
この20年の大きな経済ニュースは何だったでしょうか?思いつくままに時系列を無視して上げると、住専各企業の破綻、日債銀の破綻、長期信用銀行の破綻、山一証券の破綻、北海道拓殖銀行の破綻、その他数え切れない程の金融機関、不動産会社、建設会の破綻、また不況に伴う人員整理を中心としたリストラ・・・・本当にここには書ききれないくらいの数の企業破綻とリストラの連続でした。


つまり団塊ジュニアの世代(特に現在の30台の世代)は、物心つく頃から今まで、経済的に景気のいいニュースを殆ど見聞きしなかったのです。


更に自らが直面した超氷河期と言われた就職難、非正規雇用者増加の問題、加えて将来の生活にいける不安を増長させた所謂「年金問題」など、彼らが成人した後も暗澹なる気分になるような出来事が続きました。


彼ら彼女らは、例え極めて優良な大企業に勤めていても、「自分の会社が将来どうなるのか」、「傾くことや破綻することはないか」、もしくは「自分自身がリストラされたり職を失ったりすることがあるのではないか」という漠然とした不安を抱えています。


それに比べて、我々バブル世代はのんきなもので、大学さえ出ていれば就職もどうにかなるだろうと(実際ほとんどがどうにかなったわけで)勤めた会社が意にそぐわなければ他の会社へ容易に転職し、定年まで勤め上げることが当たり前だと何の根拠もなく思っていた(あるいは未だに思っている、いや最近はそうでもないのが現実ですが)おめでたい世代なのです。


私は、これからの日本経済を考える時に、人口減少に伴う少子高齢化の問題と、地域および経済的階層の二極化を益々進んでいくことを思えば、やはりこれからの日本経済は明るくなるとは言いたくても言えないのです。


前述したように、一時的にはミニバブルや短期的な経済的な回復が起こりえるのかもしれませんが、長期的に考えると、人口が減少していくこの国において、経済全般は厳しい局面が続くのではないかと考えています。


そうなりますと「時代」をとらえる感覚としては、私は団塊のジュニア世代の方々が「身につけてきたもの」が、極めて現実的でこれからの時代に対処すべく「本能的に備わった思考や行動」ではないかと感じています。


若い世代において自分でお弁当を作って会社に持参する男性を「お弁当男子」と言うそうですが、お弁当だけでなく飲み物を水筒に入れて持ち歩く人も多いようです。


私の業界の経営者仲間には、こういう男性社員を見て、「お弁当や水筒を持参するような社員が業界で生き抜いていって幹部まで行けるのか不安だよ。」と言う方もいます。
しかし私は、こういった行為は彼らの経験から生まれた自己防衛というか生存本能のなせる結果ではないかと思います。


「お弁当男子の何が悪い」と、私は率直に思うのです。
都内のオフィス街で外食をすればそれなりに食費もかさみます。これからの時代を生き抜いていくために、一本130円の缶コーヒーを節約しようという彼らの行為は当然のことだと思いますし、また、そうすべきでもあると思うのです。


なおかつ、彼らの真骨頂は、それを苦しいことと感じるのではなく、その行為自体も楽しみながら自然体でおこなっているところです。


ところで、商人と言えば関西、その中でも長い歴史を誇る大阪商人の家訓は数多ありますが、共通している点が「始末(しまつ)」です。始末とはつまり節約、倹約を意味します。


私から言わせると、「お弁当男子」は、感覚的に極めて大阪商人の感覚に近く、我々世代や、特に経営者や起業家も参考にすべき点があると本心から思います。


大阪商人の「始末」の「凄さ」をお知りになりたい方は、山崎豊子さんの短編作品『しぶちん』を読んでみて下さい。
お弁当男子どころではない、しかし最後には驚く程の経済的な成功を成した大阪商人の話しです。


しぶちん(新潮文庫)

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長谷川不動産経済社