新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

四半世紀前のバブル崩壊に何を学べるのか?〜ジュリアナ東京が絶頂の時、既にバブルは崩壊していた


約25年前のいわゆる日本におけるバブルとその崩壊について若干考察してみたいと思います。
テレビ等で当時の日本バブルを振り返る時、ジュリアナ東京の映像がよく使われます。
お立ち台の上でボディコンの服を着て扇子を振りながら踊る芝浦にあった当時流行のディスコ映像です。
皆さんも「あ〜あの映像ね」と記憶にあると思います。


私は当時あのジュリアナ東京へ毎夜通う女性達と夕刻の田町駅東口でよくすれ違いました。



当時私は、勤めていた会社が保有する不良資産(不動産)を売る(処理)ことがメインの仕事でした。

1989年の年末に株価は史上最高値の3万8,957円を付けましたが翌年1990年があけると急激に下がり始めました。その年の10月上旬には一時2万円を割るまで下がりました。


当時私が勤務していた会社では1990年の秋口から会社のオーナー(江副浩正氏)の号令のもと一斉に保有物件を売り始めました。
しかし、物件の数は極めて多く、その売却は既に「時遅し」で困難を極めました。


その時期、まだ業界でもまだバブル崩壊に気が付かない(認めたくない)企業も多くありました。
私の記憶では私の勤務していた会社と三井不動産が最も早く保有物件の処理を始めたと記憶しています。
金融機関(少なくとも担当者は)はまだその尋常ならざる事態に気が付いていなかったように思います。


ところでジュリアナ東京がオープンしたのは更にその翌年の1991年5月だそうです。


私が田町でジュリアナに通う女性達に出会ったのは、勤務していた会社が本社を銀座の一等地から田町の場末へ経費削減の為に移転した後の事です。
私の所属していた処理部隊は銀座に残りましたが、物件を大赤字で処理する稟議を本社にかける為に度々田町へ通ったのでした。


私達は目先が効くオーナーの判断でいち早く不良資産の処理に転換しましたが、それでも間に合いませんでした。


一方、一般の方々は、ジュリアナ東京で毎夜踊る女性しかり「まだバブルが続いている」と思っている方が多かったと記憶しています。


私は、田町駅東口で派手な服を身に付けた彼女達とすれ違う度に
「もうバブルは崩壊したよ。もう完全に終わったよ・・・」
とつぶやいていました。


当時先が見えない不動産の処理の最前線におりましたので、どこか鬱積した気持ちもあったのだと思います。


しかし、バブルはその時既にもう完全に崩壊していたのは紛れも無い事実でした。


最近感じることは、今の中国経済は言わずもがな、もしかしましたら日本の一部のミニバブルも既に崩壊しているのかもしれません。


一般の庶民(中国人民等々)がその崩壊をしっかり認識することができるまでは少し時間がかかるのは今も昔も同じなのかもしれないと感じます。




長谷川不動産経済社