新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

ミグ25戦闘機とベレンコ中尉亡命事件の思い出


先日、テレビで旧ソ連の最新鋭戦闘機、ミグ25(MiG-25)戦闘機に乗ったパイロット、ベレンコ中尉が函館空港に強行着陸し、その後米国に亡命したという事件をドキュメンタリーにて再現していました。
それを見ていて私も色々と当時のことを思い出し、懐かしく感じました。



その当時、私の父は石川島播磨重工業IHI)の航空宇宙事業部なる部署でロケットエンジン等の研究開発をしていました。
この事件が連日テレビニュースで報じられていたある夜、それも随分遅い時間に父に会社から電話がありました。
父はその電話が終わるとおもむろにスーツに着替え出し、
「これから出張に行って来る」
と言いました。



父は普段会社に行くようなラフなツイードのジャケット姿ではなく、紺のスーツを着始めました。
私は「珍しい、こんな夜にどこに出張なのか」とも思いました。



行き先を母親が尋ねると「ミグ戦闘機を見て来る」と一言。
険しい感じで急いで家を出ていきました。



それから数日経って父親はぶらっと、そう正にぶらっと帰ってきました。
尚かつ何故か笑顔で帰ってきたのです。



典型的な理系人間で人付き合いの苦手だった父は、普段からあまり喜怒哀楽を顔に出すことはありませんでした。しかし、その時は、何故かにこにこ笑いながら、つまり嬉しそうな顔で帰宅したのです。



私は「ミグ戦闘機はどうだったの?」といったことを父に聞いてみました。
その時返ってきた答えが、一言一句正しく記憶している訳ではないのですが


「大したことが無かった」


というようなものでした。
続けて


真空管を使っていたよ」


とだけ私に告げて、この話しはこれで終わりといった感じでまた何時ものように黙ってしまいました。



それでも、やはり父親はどこか嬉しそうな表情をしていました。



私は「ジェット機真空管??本当かいな?」と半信半疑でした。
当時、テレビ等の家電製品ですらもう真空管など使われておらず、全てトランジスターに換わっていたからです。



それが昨日、テレビを見ていたら、本当にあの最新鋭と言われたミグ戦闘機を分解したら真空管が使われているのを見て、日本の技術者がびっくりする場面が再現ドラマで出てきたのです。



父は30歳でIHIに転職する前は、防衛庁の第三研究所という所で誘導ミサイルの研究をしていました。
昭和6年生まれの父は戦争には行っていませんが、戦争の記憶は深くかつ鮮明にあったようです。
「自分の少年時代、周りの者は皆、戦闘機のパイロットになるのが夢だった。でも自分は戦闘機を造ることをしたかったんだ・・・」とも言っていました。だから自分の夢はある意味叶ったとも。
また、朝鮮戦争当時は、米軍の基地で敵弾を受けたファントム戦闘機の修理の為に(防衛庁から)借り出され、血で染まった操縦席に頭を突っ込んで何機も修理をしたとも言っていました。



ミグ25戦闘機がベレンコ中尉と共に日本にやって来た時は、正に東西冷戦の真っただ中で、今とは全く異なった緊張感がありました。

そして、当然ながら日本の仮想敵国筆頭はあのソ連でした。
ソ連機が日本の空域を侵犯し自衛隊機がスクランブル発進したといったニュースがしょっちゅうテレビで流れていた時代です。現在の尖閣諸島領海に頻繁に越境して来る中国船のニュースにある意味似ているかもしれません。



そのソ連が世界に誇る最新鋭戦闘機を見て、父は父なりに一技術者として確信をもって何かに安心したのかもしれません。




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