新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

あの時からもう26年経ったのか。阪神淡路大震災の事

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震災から5日後だったか東灘区へ。

急遽実家に帰った同僚へ会社の携帯電話を届けに行った。

固定電話が極端に繋がり難くなっていた。

 

前日は、京都駅前の法華ホテルに泊まった。

京都でも余震が続いていた。

 

梅田駅周辺は不思議な程、全てが平常通り動いているように感じた。

 

阪急電車西宮駅まで行けた。

その西宮駅でも水道は止まっておりトイレは使えなかった。

 

そのこら国道を5時間程歩いた。

芦屋辺りから道路がチューインガムのように曲がり始め、倒壊している家が現れてきた。

パジャマ姿の品の良い老女が素足で水を求めて歩いていた。

神戸に入ると国道沿いの至るところに布団が敷かれ、遺体が横たわっていた。

 

唯一通行できる国道は自衛隊の車両とダイエーの車両が目立った。

東灘区まで来ると、見渡す限り殆ど例外なく戸建住宅は倒壊していた。

現実の世界とは思えなかった。

目的地の全壊した戸建の前にしばらく佇んでいると、鳶職のように屋根伝いに一人の男が近付いて来た。よく見ると自衛隊の人だった。

「どこから手を付けて良いのか分からない」と言っていた。

 

避難所の小学校には大量の水と食料が既に運び込まれていた。

しかし、トイレは、校庭に穴を掘って作った簡易トイレ一つのみだった。

シートで囲われている男女兼用トイレだった。

 

帰路、開いている店はローソンだけだった。

ローソンには、ガムテープや数点の日用品しか置いていなかったが、丁度トラックが到着し、大量の賞味期限切れのおにぎりが搬入された。そこで急に人が集まり競って買っていた。

 

焼き芋屋の屋台が一個1,000円で焼き芋を売っていた。

 

その一月後、私は予定通り会社を辞めた。

 

 

長谷川不動産経済社

 

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