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「3.11東日本大震災」4年を経過して考えたこと


あの日から本日で4年が経過しました。


当時あの大惨事を目の当たりにして、またあの揺れを東京で経験し感じたことは今も変わっていません。

それは現代が
「何が起きておかしくない時代である」
ということ、さらには
「兎に角、何が起きてもどうにか生き抜けるように備えるべきである」
ということです。


私は、不謹慎かもしれませんが2007年から始まった「世界金融恐慌」とあの「3.11東日本大震災」及び「福島原発事故」を
「普段起こり得ないと思っていたことが実は容易に起こり得る」
という現実を証明したものだと考えています。


当時「予言の書だったのか?」と話題になったこの書籍は実に示唆にとんだものでした。
まだお読みになっていない方がいましたらご一読されることを勧めします。



私たちは、普段どれだけの「備え」又は言葉を換えれば「リスク管理」をしているでしょうか?


あの震災の時、私はアウトドア派を自認していましたがキャンプ用の懐中電灯もガス灯もガスコンロも全て錆びて使い物になりませんでした。
一方、元祖アウトドア作家の椎名誠さんは、かねてからジープに家族が一週間暮らせるだけの食料、水、燃料、ガソリン全てを積んで「来るかもしれない危機」に備えていたと雑誌に書かれていました。
これはやはり本物は違うと感じました。


現在でも、例えば、夜道ライトも反射板も付けていない自転車が車と車の中を縫って猛スピード走っていくのを見ると
「この人は自分の命を他人(車を運転する者)の注意力や判断力に任せてしまって危険に思わないのだろうか?」
と強く感じます。万が一にも起こるかもしれない接触事故でも自動車と自転車では大事故に容易に繋がるのです。


経済においてもあの金融恐慌に備えていた個人、法人はどれだけ存在したしょうか?
「所詮、海の向こうの出来事だ」と高をくくっていた企業かつ個人が殆どだったのです。
その結果どうなりましたでしょうか?
日本でも多くの企業や個人が破綻しました。


やはり自分の「命」や「生活」や「経済」は自分で防衛していかなくてはなりません。
1,000年に一度しか起こり得ないことが起きても生き抜く「備え」をしなければなりません。

その為には、他人に任せて良い結果となるとは到底思えません。

「命の問題」も「震災の問題」も「経済の問題」も
「自らかつ事前に備える」ことの重要さを改めて本日噛み締めたいと思います。


長谷川不動産経済社


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はじめての不動産投資

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