*下記コラムは、日刊ゲンダイ、2020年1月12日号に寄稿した文章に加筆したものです。
東京都立川市は人口18万人、東京都下約400万人を抱える三多摩地区の中心都市です。東京都心から約30キロ、東京駅からも特別快速なら40分の典型的なベッドタウンです。この立川市は私が生まれた町でもあり、(その後隣接の市に引っ越したものの)子供のころから何か特別な買い物をする時や映画を観る度に訪れ、初めてお酒を飲んだのもやはりこの町の繁華街でした。
ところが近年、この町を訪れる度にどうも以前の賑わいが年々失われていっているように感じるのです。
一方、立川駅を電車で訪れれば、その駅の構内や駅ビルに大勢の人がごった返している状況に驚くことと思います。
実際に立川駅における一日の乗降客数は、JR東日本全管轄の駅で16.8万人と16位であり、なんと15位の有楽町駅(17.3万人)に迫る勢いなのです。また19位の中野駅(15万人)や20位(14.7万人)の恵比寿駅を遥かに凌ぐ賑わいであるのも確かです。
しかし、駅から5分程度歩いた途端にその賑わいの大きなギャップに驚くでしょう。かつて駅周辺の商店街も、休日などは人酔いする程の混雑でしたが、今ではもう以前の賑わいは見られません。更に周辺のロードサイドに至っては、ファミリーレストランや車のディーラーが次々に閉店し、代わってコンビニや老人福祉施設ばかりが目立ちます。なんとも寂しい光景なのです。
そして、この光景は、私が全国各地で見てきた地方都市の商店街やロードサイドと何ら変わりがないのです。つまり少子高齢化の影響はこの東京郊外の代表的なベッドタウンにも強く現れてきています。
かつて1980年(昭和55年)の立川市において、65歳以上の老人の占める割合はわずか6.6%でした。しかし現在では24%に上昇しています。また立川市が公表している人口予想においても6年後の2026年には全体人口が減少に転じるとされています。
こういった人口の問題は当然ながら立川市だけでなく、東京郊外及び、近県のほぼ全ての市町村が抱える問題なのです。
私が記憶する昭和の時代、立川は実に猥雑で危険な香りがする町でした。昭和40年代、この町にはまだ米軍基地があり、当時基地関係者向けのバーだけでも100件を超えていたと言います。街には米国人が溢れ、駅前には物乞いをする元傷痍軍人の方がいました。太平洋戦争の敗戦の名残が子供にもはっきり感じられました。更に立川競輪が開催される休日には、街全体が灰色に変色していくのが分かりました。学生時代、背伸びをしてお酒を飲みに行けば、友人の母親が経営する店でさえもぼられたものでした。夜の街に繰り出す時には、それなりの準備と覚悟がいる町でした。しかし、正にそれが立川であり、そこがまた魅力的でもありました。
現在では駅周辺も区画整理により格段に整然とした街並みになりました。駅前の百貨店も建て替わりました。しかし、どうにも寂しい、何か勢いがないのです。
昨今、地元多摩地区の同級生達と一杯やっていても「実家が空き家になり、どうしたら良いか?」といった相談が増えました。しかし、それが居酒屋談義であっても、私の答えは明白です。「売るべし」なのです。何故ならば、今後更に高齢化が進み、人口が減っていく中で、買いの需要は減る一方です。よって自分達が住まないのであればまだ高い間に売却した方が良いとなるのです。
旧友から「立川のようにこれだけ東京都心に近い町でさえそうなら、更に地方都市は今後どうなってしまうか?」と聞かれても、私は行き付けの酒場「ささやま」でただ唸るのみなのです。
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