新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

あの夏、知覧への旅


以前20代の後半、休みの度に日本全国を旅して回った。
当時の文化人の本に20代の内に一人旅をすべきと書いてあった。
私は素直にそれに従った。


ある夏、九州を電車で回った。
東京から新幹線で福岡へ、その後平戸、熊本、そして鹿児島へと。


鹿児島市内から見る桜島は実に雄大だった。
足下には桜島の灰が薄く積もっていた。

鹿児島ではまずは西郷隆盛の終焉の地、城山へ。
その後、薩摩藩独特の武家屋敷を見たくなり、当時の様式の武家屋敷が残る「知覧」という聞き慣れない町へバスで向かった。
市内から一時間近くバスに揺られ山の中へ中へと分け入っていった。


知覧は小さな町だった。武家屋敷を見学し終えて、町をぶらぶらと散策していると石登楼が道の両側に延々と続く奇妙な参道が視界に入ってきた。
どこかに続いているのだろうか?大きな神社があるのか?と登っていくと、そこはかつて本土最南端の特攻隊の基地跡だった。そしてそこに記念館が建っていた。きっと観光スポットなのだろう、観光客の団体やカップルが観光バスから降りて記念館にぞろぞろ入っていく。


私も連られて中に入った。


そこは真夏の生気溢れる外の世界とは空気が全く異っていた。


いつしかカップルの嬌声も誰の話し声も消えていた。


多くの遺影と遺書が展示してあった。
その数、数百、いや数千だったかもしれない。
どれも若い顔、顔、顔、そして彼らが残した母への遺書、妻への遺書、子供への遺書。


知覧にあった特攻隊の基地、その基地に全国から集められた特攻隊隊員が通ったという定食屋の女将トメさんの証言ビデオ映像が流れていた。
当時彼女は、まだ若い隊員達の母のように慕われる存在だったようだ。
そのコーナーで多くの老若男女が立ち止まってビデオを見入っていた。
周りからはすすり泣く声がしていた。


トメさんの証言の中で当時、在日朝鮮人の方が特攻隊にいて、彼も他の日本人の若者と同じ様に出撃し亡くなっていた。
この事実を知り衝撃を受けた。


定食屋のトメさんは彼が出撃前夜、定食屋にふらっと現れ、彼女に一言「明日出撃します」と別れを告げに来たと語った。
他の日本人の隊員には遺書や手紙を書く家族がいたが、異国から来た彼には遺書を書いて残す相手が誰もいなかった。トメさんは彼を大変不憫に思いお風呂に入れてあげて背中を流したと。そして一緒にアリランを彼と歌い二人で泣いたと・・・・。


私は号泣した。涙が止まらず、ビデオを見続けることができなかった。ハンカチで目を抑えてその場を離れるしかなかった。


こんな時代だからこそ、「知覧」に一度行かれることをお勧めします。
あなたが右でも左でも男性でも女性でもどこの国の人でも。
知覧はおそらく皆さんのお住まいの場所から遠いと思います。しかし、騙されたと思って一度知覧に行ってみて下さい。



長谷川不動産経済社