新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

張本さんの握手


先日、ある蕎麦屋に入っていくとそこは老若男女で賑わっていました。
特に店の奥のテーブルでは初老の男性のグループが賑やに飲んでました。
ゴルフ帰りか同窓会か、とにかく席があまり近いとうるさそうだと思い店の入口に近い席に座りました。


つまみを食べながらビールを飲み、最後にざる蕎麦を食べているとにわかに隣の席が慌ただしくなりました。
「あ〜カツだ!」「カツだ!」


何を言っているんだ?と思って振り返ると、隣りに座っていた中年男性の一人が奥のテーブルから店を出ようとしていた初老の男性をつかまえて握手をしながら写真を撮ってもらっていました。


あれ?この大柄の男性はどこかで見たような・・・。
あっ!張本だ!いや張本選手だ!



少年時代、野球少年で巨人ファンだった私にとってそれは実に嬉しい再会?でした。
巨人から長島選手が引退した後、勢いの衰えたチームを王選手と共に引っ張っていたのは「安打製造機」と言われた張本勲選手でした。


現在、張本さんは厳しい発言のスポーツ解説者として有名ですが、私にとっては、やはり当時のジャイアンツのクリーンアップを王選手と共に打った選手、左バッターで流れるような美しいフォームの強打者、毎年軽く3割以上を打った頼れるバッターといった印象が圧倒的なのです。



張本選手だ!と気付いた瞬間、少し迷ったのですが、ここは「自分も握手だけでも」と意を決し、席を立って
「すみません!張本さん!昔からファンでした!握手だけお願いします!」
と呼び止めてしまいました。


張本さんは、少し照れながら「あ〜そうですか、笑」と私のような者に深くお辞儀をしながら握手をしてくれました。
私も「ありがとうございます」と深くお辞儀をしました。その後張本さんは、意外にも終始照れながらお店を出ていかれました。


張本選手は当時の紳士のチーム、ジャイアンツには珍しく正に「喧嘩屋」でした。
よく相手チームや観客のヤジに怒って、何やら相手に言い返したり、レスラーの様に激しく手招きして「文句があるならかかってこい!」といったジェスチャーをテレビで何度も見ました。
だから余計、その時の張本さんは「あの張本さんとは違う人みたいだ・・」と。



ただ一点、私には不満というか反省というか、どうも解せないことがありました。
それは、握手をした瞬間、張本さんは、私の右手を軽く握っただけなのでした。
私は、あのバットをブンブンと振っていた手でぐっと握り返してほしかったのです・・・。

張本さんの握手は、親指と人差し指と中指の3本で私の手を包み込むようなものでした。
私は、思いました、張本さんは、あまりああいったプライベートの場で声を掛けてほしくなかったのかなと。
又は、私の声の掛け方が良く無かったのかとも反省しました。隣りの席にいた「カツだ〜!」とか言っていた中年男性とは異なり、私は少年時代からの筋金入りのファンであることを伝えるべきだったとか・・・。その為には「あの流れるようなフォームが好きでした!」とか「あの時代のジャイアンツを支えて頂き感謝しています!」とかもっと気の利いたことを言うべきだったと・・・。


その後、席に戻り残った蕎麦も食べずに、そんなことをぐちぐちと考えていると「ある記憶」が蘇ってきました。
それは、張本選手は以前手に大けがをして、その後遺症を死に物狂いの猛練習により克服しプロ野球選手になり活躍したというものでした。確かどこかの雑誌のインタビュー記事で読んだものでした。
(野球に詳しくない方にご説明しておきますと張本選手は日本プロ野球界で唯一3,000本安打を打っている方です。)


「しかし、俺は右利きで右手を出して張本さんも右手だから、左利きの張本選手の利き手は左手だから関係ないか・・・」と。


次に私は蕎麦屋の席に座ったままバットを振る仕草を何度かしながら、ある事に気が付きました。
「そうか?バットを振る時は、右打者は左手の握り、左打者には右手の握りが肝心だ。利き手は逆に添えているだけのようなものだ・・・・」と。


後で調べて分かったことですが、やはり張本さんは少年時代、バックしてくる車を避けようとして焚き火の中に手を入れてしまい右手の小指と薬指に大怪我をされたようなのです。
しかしこの事実を張本選手は誰にも言わずに来たようなのです。
張本選手が引退した後、当時NHKの解説者をしていた元巨人軍監督の川上哲治氏だけにある対談でその手を見せたところ、「よくもそんな手で・・・」と、あの鬼と呼ばれた川上さんが絶句されて涙を流したと言われています。


また張本さんは少年時代、広島で原爆にも被爆されています。
美人で自慢だったお姉さんも被爆され、その全身が焼けただれた姿になってしまったお姉さんを自宅で看取ったこともテレビで話されていたことがありました。
現在半身麻痺になった長島さんが公の場に出る時は何時も張本さんが寄り添っています。
毎回毎度何時もです。
張本さんは、自分が在日であることから数々の差別を受けてきたこと、プロ野球選手になってからもそのヤジが凄まじかったことを言っておられました・・・・・。


私は、少年時代に見た豪快で流れるような美しいフォームを今でも鮮明に覚えています。
そしてあの夜の張本さんの握手の感覚も。




長谷川不動産経済社