新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

リクルートコスモス元社長、池田友之さんのこと

私がこれまで仕事をしてきて、この人は凄い経営者だな〜!と思った方が何人かいらっしゃいます。
その中でもリクルートコスモス(現コスモスイニシア)元社長だった池田友之さんはその筆頭というか尊敬すべき方でした。


私がコスモスに入社したと同時に、不動産のことなどまだ何も分からない段階で幾つかのプロジェクトを任されました。


任されたと言っても、およそ引き継ぎとは言えないわずか数十分の簡単のレクチャーが前任者からあり、分厚いプロジェクトファイルを渡され、それで終わりです。


勿論、課長や部長はその案件の内容や状況をよく理解しているので組織として支障はないのでしょうが、私個人としては、何とも全てがチンプンカンプンな不安な状況でした。


更には、引き継いだ担当プロジェクトはどれも大きな問題を抱えていたのでした。
端的に言えば、どの案件も時価が取得時の価格を大幅に下回っていた物件だったのです。
つまり進むに進めず引くに引けず、いったいどうやって現状を打開するのか又は処理するのか・・・・といった案件ばかりでした。


ある時のこと、私が課内で一人机に座って事務作業をしていると内線電話が鳴りました。
出てみますと社長秘書の女性の方からでした。
「池田社長がMプロジェクトの直近の現状を説明しに来てほしいと言っています」と。
部内を見渡すと課長も部長も出払っており、ホワイトボードを見るとその日に限り両名共に夕方まで戻って来ないスケジュールでした・・。


私は焦りました。


Mプロジェクトは、社長の大学時代の同級生、つまり社長の個人的に仲の良い友人が経営するTという会社との共同プロジェクトだったのです。
このTという会社は全くの不動産とは異業種で、不動産のプロであるリクルートコスモスを頼り切った状況であったのです。そしてこの案件も両社にとって完全なる不良資産となっており、にっちもさっちもいかない状況にありました。


おそらく、その同級生の社長から池田社長に状況を問い合わせる電話が入ったのだなと思いました。
私は、まだこの案件の内容を殆ど理解できておらず、情けないことに私一人では社長に何も報告できない状況でした。


私は秘書の女性に「今課長も部長もいないので、どうにか夕方どちらかが帰って来るまで待って頂けないか・・・」と伝えました。
秘書の方は「分かりました」と電話を切りました。


それから数分後、また内線電話が鳴りました。
また社長秘書の女性でした。
「池田社長曰く、やはり時間がないので、分かる範囲でよいので今から状況を説明しに来てほしいとおっしゃっています。」と・・・。


私は、転職してこの会社に入りました。私と同年齢でこの会社に新卒で入社した者は皆がもう一人前でした。
私はまだ、容積率や建ぺい率という言葉の意味さえも知らないレベルでした。
とてもこの複雑な案件の進捗状況を説明することなどできません。まして社長に直接・・・・。


しかし、社長が「来い」というのですから、仕方なく分厚いファイルを抱えて社長室に向かいました。
「転職して初めて、社長に会うというのに・・・・」私は暗澹なる気持ちになりました。


ファイルを抱え社長室に行くと、秘書の方が
「中へどうぞ」と。私はファイルを抱えて社長の個室へ入りました・・・・。


さてその後、どうなったと思われますか?


池田社長と私は、約30分程度話しをしたと思います。
ですが、その間、なんと池田社長はMプロジェクトに話しには一切触れなかったのです。一言もです。
社長は私に「会社には慣れましたか?会社の雰囲気はどうですか?」といった話ししかしなかったです。
MプロジェクトのMの名前さえ出なかったです。


池田社長の本音は、親友の会社に迷惑を掛けているMプロジェクトの進捗を少しでも聞きたかったのだと思います。しかし、下を向き不安そうな顔をして入ってきた転職組の新人の顔をみて、その話しをすることを止めたのだと思います。


池田社長は江副浩正さんと東大における同窓であり、リクルートの創業当初のメンバーの一人でした。
普段から笑顔を絶やさない、語り口調も温和な方でしたが、取締役会ではよく他の役員を厳しい口調で叱咤する時もあったそうです。


私は、入社早々に池田友之社長の優しさといいましょうかその人柄に深く感動し、また感謝したものでした。
「なる程・・・こういう方だからこそ会社の社長になるのだな・・・・」と。



長谷川不動産経済社