新東京邂逅記 by 長谷川高

厳しい時代を生き抜く為の資産防衛と不動産戦略

近江商人の「世間良し」とは何か?

彦根にはこれまで4回程行ったことがあります。殆どがセミナー講師としての仕事でしたので、毎回多少の時間の余裕がありました。

 

ある時、彦根の中心部から車で20分程のところにある近江商人博物館に参りました。

以前から興味がありましたのでじっくり拝見致しました。

 

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近江商人と言えば「売り手よし、買い手よし、世間よし」といった思想と申しますか行動哲学が有名ですが、私にはこの「世間よし」の意味が今ひとつ腹の底で理解できずにおりました。

世間よしとは、何か儒教的な綺麗事を言っているようにも思いました。

しかし、この博物館を訪れてよく理解できました。

 

近江商人の流れをくむ現在の大企業は伊藤忠商事、丸紅、高島屋西武鉄道、ヤンマー、双日、柳屋ポマード他、実に多いのですが、当時の近江商人の進出先も南は薩摩から北は蝦夷地にまで実に日本全国に及びました。

これが現代で言う支店を出すということではなく、自ら移住し、そこの居を構え、正に骨を埋める前提で進出していったのです。

今のように東京、大阪や博多間を飛行機で日帰りできるような交通機関はないわけですから、暖簾分けしてもらった人間は、当たり前ながら地方へ移住して店を構えたのです。

 

そして、当然ながら近江から来た商人は間違いなくその土地では「よそ者」だったわけです。

よそ者は警戒される対象であり、当初は「地元の仲間」には入れてもらえないわけです。

 

現在でも名古屋の「丸八会」のように地元だけで商売を回していこうといった排他的な寄り合いは残っているのですから、当時ではなおのことだった思います。

 

そこで、近江商人は地元に彼らの利益を大きく還元していきます。

 

学校を建てる、植林する、灌漑用水等の土木工事を行うなど様々な寄付行為を行っていきました。

よそ者の商人がその地で、商売をさせてもらい、受け入れてもらい、結果食べていくには当然しなければならない行いだった思います。

これがズバリ「世間よし」の実情だったのだと想像します。

世間よしとはその土地土地によそ者が受け入れてもらう必要不可欠な手段だったと。

 

私も地方で仕事をさせて頂く時は「私は所詮よそ者なのだから、何かその土地に還元していかなければ」と思い毎回参ります。

それは町興しの知恵、つまり言葉だけでは不十分なのです。

 

その土地の居酒屋で食事をして、スナックでムード歌謡を歌ってわずかのお金を落とすしても、世間良しとは到底言い難いのです。

 

これは実際には、なかなか難しい問題なのです。

だからこそ、これを徹底的に実行した近江商人はやはり偉大なのです。

 

 

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長谷川不動産経済社

 

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